小説 川崎サイト

 

信濃のうつけ者


 信濃の当主の従兄弟新三郎が上洛した。信濃とは信濃家のことで、この王国での第三勢力。
「これは事が起こる」
「そうでしょうか。ボケの信三郎と聞いていますが」
 ボケとは、アホ、バカのことだ。
「うつけ者のふりをしておるだけ。世間を欺く芝居」
「そうなんでしょうか」
 信濃家の本拠地、信濃城下に忍ばせている間者からの報告だ。
「しかし、アホの信三郎が都に来たことがどうして問題なのでしょうか」
「あれは隠し球。おそらくは信濃家の中では一番の切れ者。時節到来で上京させたのじゃ」
「しかし、信濃家は大したことはもうできますまい」
 当時、第一戦力がぐらついており、そろそろ交代の時期になっている。当然それを狙うのは第二勢力。その隙間を狙って第三勢力の信濃家が動き出していると判断していた。良いチャンスのためだ。それで隠し球、切り札の信三郎を送り出した。
「信三郎を上洛させるとは、信濃家は本気だ」
「しかし、そんなうつけ者では、何ともなりますまい。都見物に来たのでしょ」
「いや、王城の護衛官になっておる。しかも王の親衛軍、直轄部隊だ」
「しかし親衛軍の数など知れております」
「いや、王城周辺の警備もかねておる。だから、良い位置にいる。さすが知恵者、信三郎らしい」
「何か策は」
 この二人は第四勢力と第五勢力で、高見の見学をしながら、折良くばどちらかに味方し、恩を売りたい。だから、以前から有力勢力の動きを事細かく調べていた。
 信三郎が動く時、信濃家が大きな動きをする時。そして、その時が来ていると判断した。これは第二勢力より、第三勢力の信濃家が勝つというような話ではなく、もし信三郎の動き如何で、王家そのものがぐらつくほどの内乱になる。
 そしてその時、歴史が動いた。王国を牛耳っていた第一勢力の鳩首が老衰で亡くなった。
 間者たちは親衛軍の信濃信三郎の動きに注目した。第三勢力とはいえ、コネは多い。親衛軍の小隊長ぐらいの地位は簡単に得られる。
 夜半、信濃信三郎小隊が城下を静かに移動している。そこは有力家臣の屋敷がある一帯。
 しかし、馬上にいる信三郎は芸子の着るような小袖。
「まだ、うつけの振りのままですなあ」
 その報を聞いた例の二人は、信三郎の用心深さに驚いた。そのまま第二勢力の屋敷を襲うはず。最後の最後まで、うつけ者の振り。
 次の間者からの報告では、城下を見回った後、非番になるのか、信三郎は遊郭へと向かったらしい。
 まだその時ではないのか、はたまた本当にアホなのか、最後の最後まで分からなかった。
 そして信三郎が暗躍したのかどうかは分からないが、信濃家が天下を取った。ただし、第四勢力以下の、小勢力と合体して。
 信濃家が王国の最高位の家臣になった後、信三郎の姿はない。故郷の信濃に帰ったらしい。
 彼が一体何をしたのか、一切分かっていない。
 
   了



2017年3月18日

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