小説 川崎サイト

 

失楽園

 
 何か一つか二つ好きなことがあると、楽しみが増える。しかし、好きなものだけに、苦痛も多い。味合わなくてもいいような不快感。これは好きなものだけに、好みではないものを手に入れたとき、言いようのない不満足感を覚える。
 快と不快は裏表で、コロリと快が不快に転んだりする。当然その逆もある。しかし、好きなものがあるのとないのとでは違ってくる。
 要するにやることがあるのとないのとの違い程度だが、これは好きでやりたいと思えるものがある方が好ましい程度。それは趣味でもいいし、道楽でもいいし、また実用性のある用事でもいい。ただ、好きか嫌いかがはっきりしないが、何となくやっていることもある。これもしなくてもかまわないことなら、趣味の領域だろう。
 つまり、趣味がある方が楽しいということだが、どこからが趣味なのかは分かりにくい。
「趣味を仕事にですか?」
「そうです。楽しいことを仕事にしたいのです」
「それはやめた方がよろしいですよ、仕事になると楽しくなくなるとよく言うでしょ」
「知ってます」
「だから、せっかく楽しいことなのに、楽しくないものになりますよ」
「でも、そのことは楽しいはずです」
「遊んで暮らしているのにお金になる。そういうことですか」
「それは贅沢すぎますし、そんな条件はないでしょ。さすがにそこまで欲張っていません」
「楽を得るには苦も背負わなければいけません」
「楽だけ背負いたいのですが」
「虫のいい」
「そういう虫のいい話はありませんか」
「瞬間的にはあるでしょ。しかし、長くは続かない。やはり人は地道に暮らすのが一番です」
「その地道が辛くて辛くて」
「楽しいことなど一瞬だと言いますよ。しかし、その一瞬があるから満足できるのです。毎日満足などしていては、満足にも飽きますよ」
「だめなようですねえ」
「好きなことがあるのなら、仕事とは別に、それをやることです。これは楽園でしょ」
「そうです。でも仕事がきつくて、その楽園で遊ぶ暇がありません。また、その楽園からも少しは収穫があります。それで食べていけないものかと」
「それを職にすると失楽園になります」
「じゃ、苦海を泳げと」
「この世はすべて苦海です」
「しかし、楽しいこともあるじゃないですか。全部じゃないですよ」
「まあ、そうなんですが、すべてが苦海だと思えば、諦めもつくでしょ」
「はい」
「楽しいこともやがて苦海になります」
「しかし、楽しめるときは楽しまないと」
「それも、まあ、そうなのですがね。それは特別な日に限ります。毎日が祭りではだめです。普段は地味に暮らすのが一番。すると楽しいことがポツンポツンと来ます」
「何処から」
「苦海からです」
「ほう」
「地道に畑を耕し続ければ、やがて実るでしょ」
「それは分かっているのですがね」
「それを煩悩と言います」
「しかし、楽しいことも苦海に繋がるのだとしますと、楽しいことは苦行に近いのじゃありませんか」
「え」
「楽しいことは実は苦海で、地味なことなのです」
「ほう」
「だから、楽しいことをやっていると言うことは苦行をしているようなものです。苦しんでいるようなものです。これで、行けませんか」
「何処へ」
「いや、ですから、楽しいことは苦だと思えばいいのです」
「少し時間を」
「好きなことをしているときは、苦しいことをしているのと同等なのです。地味なことをコツコツとやっているようなものなのです」
「それは一寸」
「これで行きます」
「何処へ」
「楽園ではなく、失楽園へ」
「あ、そう」
 
   了

 


2017年3月31日

小説 川崎サイト