小説 川崎サイト

 

何かいる

 
 そこには誰もいないのだが、何かいるような気がする。具体性がないことから、五感ではなく第六感が感じているのだが、その感覚はどこから来るのだろう。きっと内側から来るはずで、見えない、聞こえない、触れない、匂わない。しかし、高畠は下駄の鼻緒が切れたのを想像すると、いやな鼻緒の匂いがする。子供の頃、大きな庭下駄があり、それを履いて、遊んでいた。緩んでいたのか、ぷつりと切れた。雨上がりの匂いとも重なっている。鼻緒が雨で濡れていたのだろう。切れたとき、いやな匂いがした。
 今では下駄という言葉を聞いただけで、あの匂いがする。そのため、具体的な発生源などなくても匂いは発生するが、鼻で感じているのではない。匂うものなどそこにはないし、また下駄もそこにはない。
 この五感を通さないでやってくるものは日常的にもよくあることなので、珍しい話ではない。ただ、何かの気配を感じるというのは、少し内容が違う。近くに何かがいるからだ。
 気配だけで、それが何だか分からない。これは困った話だ。寝入りばな、自分の寝息を聞くことがある。誰か横で寝ている人とか、動物でもいるのかと思うと、自分自身だったりする。
 それなら発生源ははっきりとしている。しかし気配だけで、それが何の気配であるのかさえ分からない場合、困った話になる。
「気のせいでしょ」
「いや、確かにいる。何かが」
「霊かい」
「それなら、何か訴えたいことがあるとか、そういう筋書きになるけど、得体が知れない。最初から」
「じゃ、幻覚だね」
「幻覚」
「空耳のようなものだ」
「あ、そう」
「ないものが見えたり、音などしないのに、音を聞いたり、まっ、よくある幻覚だよ」
「夢の中の出来事のような」
「うん、夢の中での音がそうだろうねえ。匂いもね」
「しかし、何か妙なものが近くにいるんだ」
「見えないのに、どうして妙なものだと分かるんだ」
「何となく」
「カンかい」
「第六感」
「うーん。どうかな、何かバグってるだけかもしれないし、ただのノイズのようなものかもしれないよ。思っているほど意味はなかったりする」
「そうだといいんだけど」
 高畠は妙な気配がするとき、こうして架空の人物を呼び出し、聞いてもらうことにしている。
 
   了




2017年4月11日

小説 川崎サイト