小説 川崎サイト

 

阿弥陀道

 
 里山から少し入った所に阿弥陀道がある。そこに阿弥陀如来がいるとされているが、如来がいるのか、如来像がいるのかは曖昧だ。仏像が仏なのか、仏が仏像なのか、それはさておき、この道はハイキングコースにもなっている。鬱蒼と茂る雑木林が続き、小径が何筋も出ている。同じ樹木だけが何本も並んでいる植林とは違う。
 元々はお寺の土地だったらしく、寺の本尊が阿弥陀如来。廃寺になってから年月が経つためか、寺があった頃の石垣が残っている程度。
 阿弥陀道を抜けると高い峰が見えてくる。そこから先はハイキングではなく、登山になる。峰の頂上を目指すのも良いが、帰りがきつい。それに峰の向こうはさらにまた別の山並みが続き、それが海岸まで続いている。海に出たとしても寒村がある程度で、鉄道も走っていない。
 阿弥陀堂があるのは、この大きな半島の中央部だろうか。
 阿弥陀道は幾筋にも分かれ、さらに枝分かれしている。何のために、こんな小径が多いのかは分からない。湧き水で削られた道がメインの道で、これは自然にできたようなものだが、その他の道は人が通したものだろうが、多すぎる。
 ハイカー達は、それで迷ってしまうのだが、よく考えると、阿弥陀道なのだから、これは阿弥陀籤なのだ。つまり、廃寺の広い森がそのまま阿弥陀籤の面になっているようなもの。それ以外にこの道の説明が付かない。
 当時はよく分からなかったのだが、航空写真を見ると、阿弥陀籤そのもの。しかし、阿弥陀籤と違い、複数の線が下へ下り、その間を横の線が不規則に入るのではなく、直角にはなっていない。
 本尊の阿弥陀堂があった場所が、この阿弥陀籤の大当たりだろうか。この場所にはなかなか到達しないように作られている。
 阿弥陀籤の目的は阿弥陀堂へ出ること。ただ、そんなプレーをする人などはおらず、阿弥陀道の端にある崖まで行くのが目的。そこから半島では最高峰の峰が見える。ベンチもあり、土日には茶店も開く。
 寺の謂われは残っていないが、とある貴族の私寺だったらしい。菩提寺のようなものだが、没落し、寺も放置されたようだ。
 里山の奥にある山寺。ある意味、その貴族の別荘のようなものだったようだ。
 
   了


2017年5月12日

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