小説 川崎サイト

 

老い風邪

 
 風邪でも引いたのかコーヒーがうまくない。煙草もうまくない。毎朝来ている喫茶店で、吉田はそれに気付く。きっとコーヒーはいつもの味で、煙草もいつもの味だろう。吉田の変化で世の中が変わるわけではない。胃が荒れているときは舌も荒れ、食べ物がうまくない。熱っぽいときは気温が高いように感じたりする。いずれも変化しているのは吉田で、事物ではない。
 その後、吉田は人と会ったが、風邪の影響では無口になる。いい話なのだが、その気になれない。喜んでいることは喜んでいるのだが、抑え気味。
 これが普通の体調なら、もっと喜ぶだろう。しかし、先方はそうとは受け取らなかった。何か不満でもあるのかと疑った。
 若い頃の吉田は風邪程度なら逆に逆噴射し、テンションが高くなった。そして大汗をかき、熱などすぐに下がった。
 しかし、年を取ってからの吉田は体調の変化を露骨に表すようになる。それまで隠していたわけではないが、普段と変わらなかった。
 先ほど別れた人から電話があり、何か不備な点があるのなら、何とかしますといってきた。風邪気味で元気がなかっただけとはいいにくい。
 年を取ると座るときに「よいしょ」と声をかけ、湯船に入ると「あー」というようになる。吉田もその口で、いつ頃からそう言い出したのかは分からないが、もうかなり前からだ。
 また湯船で浪花節、浪曲をうなるようになるというが、歌詞も曲も知らないので、それは無理だ。
 しかし、詩吟をやりながら歩いている人がいる。最初は携帯で話しているかと思っていたがそうではない。
 繁華街で別れた後、吉田は古い市場があるのを思い出し、そこに入り込んだ。ほぼシャッター街となっているのだが、開いている店もある。お菓子屋だ。昔の駄菓子ではなく、よくあるような袋物だ。子供が買いに来るのではなく、年寄りが買うようだ。そんな店は今までなかったので、新しくできたのだろう。だから少しは流行っているようだ。
 その向こうに老舗の和菓子屋があるが、それほど高くはない。そこも閉まっていない。これも年寄りが茶菓子を買いに来るのだろう。だから、この通り、洋物と和物の菓子屋が元気だ。後はマッサージとか整骨とか。当然果物屋も開いている。これは昔の菓子だろう。
 アーケードを抜け、そのまま歩いて家に戻ることになるのだが、駅前からバスに乗らなかったのを後悔した。散歩がてら歩くのもいいが、風邪っぽいときはバスがよかった。
 吉田は歩いているのだが、まるでマラソンでもしているように気合いを入れた。足が重く、身体もしんどい。そして半分ほど来たところで、自販機で十六茶を買った。給水地点のようなものだ。
 それを飲むと、少し元気になり、無事家にたどり着いた。
 朝の喫茶店で風邪だと気付いたとき、静かにしておくべきだったと反省した。
 しかし、不機嫌そうな顔をしていたためか、少しだけいい条件で契約できたようだ。少しおまけを付けてくれた。風邪で元気がなかったが、いいこともある。
 
   了



2017年6月7日

小説 川崎サイト