小説 川崎サイト

 

閉まりのいい踏切

 
 その踏切は開いているときの方が多い。十五分に一便ある線路で、上りと下りがあるため、七分に一度は閉まる計算になる。各駅停車しか走っていない。
 その踏切は小さな踏切で、幅が狭いため、車は通れないが、軽自動車なら無理をすれば通れる。そのためか車止めの鉄柱が立っている。バイクなども通行禁止。人と自転車しか通らない。
 奥野は踏切の向こう側にある施設へ毎日出掛けている。その狭い踏切は、狭い小道にある。裏道で車は少ない。
 奥野は不思議でならないのは、いつも踏切が閉まっていることだ。閉まっていない時間の方が長いので、悪い偶然ばかりが重なっているようなもの。
 しかし、さすがに毎回ではない。閉まっている確率の方が高いため、毎回、いつも、と言っているだけ。当然開いているときに渡ることもある。そのときは踏切などは意識してない。
 踏切にさしかかったときに、音がし、閉まり始めることも多い。早く進めば渡れるが、数秒遅れると閉まってしまう。閉まりかけ、そして閉まりきっても手で持ち上げれば通れるのだが、そのときはかなり電車は接近している。まだ大丈夫なのだが、転んだりすると、その限りではなくなる可能性もある。
 いつも閉まっている開かずの踏切ではない。多くて七分に一度だ。そのためよほど運が悪いのだろう。
 家を出るとき、同じ時間に出ているわけではない。家から踏切までの時間が毎回同じなら、毎回踏切は閉まる。だが、家を出る時間は決まっていない。数分のずれがある。最大三十分ほどだ。踏切に引っかかるのは踏切手前までの所要時間とも関係するが、そんなことは気にしたこともない。踏切が開いている時間を計算して家を出る人などいないだろう。開いている方が多いのだから。同じ時間に家を出ても回誤差がある。そこへ行くまでに普通の信号があったり、信号はなくても、道を渡るまで待つ時間などが含まれる。
 そして今日も奥野は踏切で止まることになる。踏切にさしかかったときは開いていたのだが、近付くと音が鳴り始め、手前まで来たときには閉まっていた。
 よく考えると、今日も踏切が閉まっているかもしれないと思ったときに限って閉まるようだ。そして踏切のことなど何も考えない日はすっと渡れるらしい。
 
   了


2017年6月11日

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