小説 川崎サイト

 

神秘家の果て

 
 神秘事というのは、その人がそう感じないと起こらない。従って起こっていても、気付かない。神秘事を気にしていると、神秘事が起こりやすい。神秘家は神秘事ばかり気にしているので、起こりっぱなしだ。
 世の中には不思議な出来事がある。それを不思議だと感じなければ、不思議なことも起こらない。しかし、本当に不思議なことが起こっているかもしれないが、そういう組み立て方をしないため、スルーするだろう。
 これは不思議だと思うには、それなりの事情を把握していないと無理で、不思議ではないことを多く知っている必要がある。知っていれば不思議なことでも、それはもう謎ではない。
 神秘事も不思議なことも、それを受け取る側の問題で、これにはその人の時期のようなものがあるのだろう。この時期とは結構精神的な時期で、不思議なものに対する感度が上がっている。精神生活上に何か亀裂でも生じているのか、普段なら切れ目のない事象でも、繋ぎ目のようなものを見てしまうためだろうか。これは裂け目のようなもので、神秘事が発生するクレパス。
 精神的なもので、全てのことを説明するには無理があるが、不思議なことを大袈裟に言い過ぎる時期と、そうでない時期がある。
 山村は昔は神秘事が大好きだったが、今はノーマルになっている。その頭があまり働かなくなった。要するにそのモードに入らないのだ。精神的な問題ではなく、飽きたのだろう。
「神秘家としては失格ですなあ、山村さん」
「そうなんです。困った話です。怪談を聞いていても乗りが悪く、しらけてしまうようになりました」
「それはもう素質が剥がれたのでしょう」
「剥がれた」
「使いすぎたのです」
「神秘力をですか」
「そうです。謎だったものを解き明かしすぎたのでしょう。謎を謎のままにしておけば長持ちしたのにね」
「神秘心を薄くなり、淋しい思いをしています。ものすごい御馳走が目の前にあるのに、食欲がないときのようです」
「しかし、山村さん」
「はい」
「山村さんがどう感じようと、神秘事は起こっています」
「そうなんでしょうなあ。それに食いつけた頃が懐かしいです」
「しかし、本物の神秘事、怪現象に遭遇しなくて良かったですねえ」
「はい、幸いでした」
 
   了


2017年6月27日

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