小説 川崎サイト

 

ご飯を炊く男

 
 ぼそぼそと音が聞こえる。人が発している。作田が発しているのだろう。ぼそぼそと。
 これは文句を言っているのだ。ご飯を炊くとも言う。炊けつつあるときの音だ。
 つまり、ぼそぼそ声で文句を言っているのだが、意味は分からない。言葉になってないため。だから囀りや鳴いているようなもの。言語になる手前だが、何らかのメッセージ性があり、聞いたものはその意味が分かる。危ないとか、こちらへ来いとか程度なら。
 当然作田がご飯を炊くのは文句があるとき。良い状態のときではない。気に入らない状態だが、それを言葉としてしっかりと相手に伝えない。また、ぼそぼそも耳を澄まさないと聞き取れないほど小さい。作田は距離を置いてからご飯を炊き出すので、なおさら聞こえない。聞こえたとしてもぼそぼそ程度で、意味不明。
 ただ、作田の顔を見れば察しが付くだろう。口が鳥の嘴のようになっている。尖っているのだ。そして目はもうどこも見ておらず、当然相手に視線を送ることもない。
 しかし、これだけのことでも何らかの感情は相手に伝わる。話の中身に対する解答のようなものを返しているのだ。
 そのぼそぼそ声は聞き取りにくいが、作田は何を言っているのかを知っている。しっかりとした文章になっているのだ。おそらく反論だろう。
 その反論、相手は聞き取れなくても、大凡の中身は分かる。否と言っているのだ。違うと言っている。そうではないと言っている。その説明をぼそぼそと言っている。こういうことだからと。その中身の文節は断片的なので、文書になっていないが、それでも作田がどんな感想を持ったのかは分かる。
 このぼそぼそはぐつぐつやぶつくさとは違い。ご飯が炊けるとき、その段階で別の音がする。ぐつぐつ文句を、ではなく、ぼそぼそと文句を、が作田のご飯を炊く音。普通ならブツクサだろうが、これではご飯の炊ける音ではなくなる。
 作田には自覚はない。ついついご飯を炊いてしまうのだ。表立っての文句ではないが、この音が気になる人もいる。
 作田がご飯を炊くことは社内で知れ渡っている。だから常にご飯を炊き続ける文句の多い人間なのだが、作田はそううとは思っていない。理不尽なことがあるからご飯を炊き、消極的な反論ではなく、反抗をしているのだ。しかし、それはあからさまで、露骨すぎる。聞こえないような文句なら言わない方がいい。しかし、繰り返すが作田には自覚はない。ついついご飯を炊いてしまうのだ。
 
   了




2017年7月9日

小説 川崎サイト