小説 川崎サイト

 

真夏の湯豆腐

 
「暑いときは湯豆腐がいいです」
「暑いでしょ」
「冬は冷や奴がいいです」
「寒いでしょ」
「夏は冬のような食べ方、冬は夏のような食べ方がいいのです」
「やっておられるのですか」
「やってません」
「じゃ、意味がないじゃありませんか」
「というのはどうかな、と、ふと思ったのです。これは暑いのでやけくそです」
「あまりにも暑いので、もっと暑いものを食べてやれとですか」
「そんな感じです。しかし、湯豆腐は真夏でも食べるでしょ」
「進んでは食べませんし、そういうのは家で出ませんからね」
「飲み屋へ行けば夏でも湯豆腐はあるでしょ」
「ありますがね。私は豆腐はあまり食べないのです」
「そうなんですか」
「子供の頃から貧乏で、豆腐ばかり食べていましたから、見るだけで、もういやです」
「そういう含みがあるのですね」
「そうです」
「夏は暑いので、何をやっても暑いので、もっと暑苦しいことをやればいいんじゃないかと思ったのです。逆に涼しくなるような」
「さらに暑くなりますよ」
「まあ、あまり暑いと気が狂う人も出るでしょ。あれはやはりやけくそなんですよ。もっと暑いことをしてやれってね」
「寒中の水浴びのようなものですか」
「それはやったことはありませんが、寒いよりも、痛いんじゃないですか。だから別の趣味でしょ」
「確かに暑苦しいことをやると、大汗をかき、そのあと寒くなったりしますから、涼しくなるかもしれませんねえ」
「湯豆腐を試すつもりです」
「しかし、湯豆腐、それほど熱くないでしょ」
「まあ、暑くて頭がぼんやりとしてきて、気がおかしくなるのかもしれません」
「季節に関係なくおかしくなる人がいますよ」
「それは、あっちの病気でしょ」
「そうです。最初から狂ってそうな人なら分かりやすいのですが、そうでない人もいますから、こちらの方が怖いです」
「普通の人がそうなるのですかな」
「まあ、普通の一般常識からの逸脱でしょ。それを本人が気付いていないのが問題でしてね。それなら気の触れた真似ですが」
「原因は何でしょう」
「きっとストレスの多い人でしょうねえ。それが爆発したのでしょ。堰が所々で切れた感じです。常識の決壊です」
「身近にいますか」
「いますよ」
「それは怖い」
「誰だって、その要素は持っていますが、堰き止めているんですよ」
「じゃ、夏場の湯豆腐なんてかわいいものですなあ。自分が暑いだけですみますから」
「そうですねえ」
「冬の狂気よりも夏の狂気の方が怖いですよ」
「暑いので、レッドゾーンに入るからでしょうねえ」
「はい」
 
   了


2017年7月20日

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