小説 川崎サイト

 

暑中見舞い

 
 暑いという他ない日々が続いていた。夏なので暑くて当たり前で、特に言う必要はない。夏イコール暑いので、暑いというのは夏と言えば省略してもいい。夏に寒ければニュースになる。しかし、世の中を変えるほどのものではなく、また大惨事でもないので、取り上げられないだろう。せいぜい天気番組で、少し触れる程度。また夏に寒いといっても氷点下になるわけではない。夏の最低気温を更新するほどの寒さでも、これは寒いのではなく、涼しい程度の気温だろう。
 日々平穏に暮らしている田中だが、この暑さだけは平穏なのかどうかは分からない。体温の平熱のように、夏場の平均的な気温なので、平温だろうか。しかし、それでも暑い。そのため、日々のことをしていても、暑さだけが際立つ。一番目立つのが暑さなのだ。そして一日を終えたとき、暑かったことだけを思い返すが、夜になってもまだ暑い場合、まだ回想事項ではない。最中なのだ。
 世間からドロップアウトしてから暑中見舞いの葉書が一枚来る程度。手描きのイラストなので、手間暇かかっているので、大事に保管している。着色されている。もう何十年も届いているので、知り合った頃から来ているのだろう。ありがたい話だが、絵が暑苦しい。
 今年もそれが届いており、まだ生存していることが分かる。そして絵筆をまだ握れることも確認できる。
 この暑中見舞いの葉書、田中は毎年楽しみに待っているわけではないので、来なくても、来ていないことすら気にしないだろう。むしろもう来なくなっても普通なので、未だに来ていることの方が不思議だ。
 これはあとで分かったのだが、その知り合いは年に一枚だけ絵を描くとか。それが、この暑中見舞いのイラストなのだ。そのため、唯一の発表場所らしいとか。特に田中を選んで出しているのではなく、田中なら返事はしないし、会う機会もないため、ごちゃごちゃ言われなくてすむためとか。
 今年届いた分を田中は引き出しにしまう。ここに手描きのイラスト入り暑中見舞いが絵はがきのように溜まっている。しかし最初に来た絵と、今年の絵とはほとんど変わっていない。まるで進歩がないというか、安定した画風なのだ。少しは変化があっても良さそうなものだが、最初から成熟していたのだろう。
 
   了


2017年7月30日

小説 川崎サイト