小説 川崎サイト

 

毎度お馴染みのこと

 
 毎度毎度同じようなことをしていると飽きてくるのではなく、そのペースが崩れることの方が怖い。その毎度はこなれた毎度で、普通にやっていることであり、ほぼオート化されている。人間がロボットのように動いているわけではないが、同じ動作をできるだけ繰り返すようにしている。しかし、ロボットにはできないのは、普段の用事が複雑過ぎるため。その一つ一つはロボットでもこなせるが、複数のロボットがいる。だから、複数のロボットが必要になる。毎度お馴染みのことでも、多方面にわたるためだ。
 ロボットの多くは何かに特化した専門性の高いものが多い。それは一ジャンルに限られるだろう。
 しかし、慣れてくるとロボット化する。同じ動作を繰り返すためだ。そのうち箸でご飯を食べるように、自然とやってしまえる。その快適さが少しあるのは、何も考えなくてもいいためだ。だからその時間帯は安全地帯となる。
 日常を乱されるのを嫌がる人は、このオート化された安全地帯ではなくなるためだろうか。まあ、慣れたことをしている方がいいのだろう。
 オートでこなせないようなことが、自動運転中でも起こるが、これも同じようなことが過去にもあり、それもまたオート化されているので、まだまだオートでいける。
 困るのは初めての事項だろう。やったことがないことだ。しかし、これも何となく何かに当てはめて、それを試してみる。これでうまくいけば、すぐにオートとなる。そして毎度毎度のことが多くなるほど、楽になる。
 つまり、オートとは楽をしたいということだろう。できれば、何もやりたくない。だからやっているようには見えないようなオートに持って行く。これはやっていても、もう自動的なので、何もやっていないのに近かったりする。
 ではオートやロボット化では創意工夫や、新たなひらめきや、人間らしさなどはどうなるかだ。それらを必要としない人もいるし、望まなかったりする場合も。創意工夫はオートのときでも、多少はやっている。またそうしなければ動かなくなるとかの必然性があるため、実はやっているのだ。
 新たな発想というのも、やっているうちに芽生えてくる。何もない状態では何も起こらないし、その必要性もないだろう。
 むしろ、創意工夫の空論をやっている人よりも、何かをやり続けている人の方が、創意工夫のチャンスが多いはず。
 毎度お馴染みのことをやっている人は安定したベースを持っている。これはデータベースでもある。ちょっとした変化でも、それを捉えることができたりするため、このベースは貴重だ。日々のことなので、それほど大層なことではないが。
 
   了




2017年8月2日

小説 川崎サイト