小説 川崎サイト

 

炎天下をゆく

 
 暑い盛り、下村は歩いている。先ほど木陰が切れ、炎天下。それがしばらく続く。前を若い学生が並んで歩いている。何やら話に熱中しているらしく、暑さに気付かないわけではないが、気にならないのだろう。会話での熱中の方が暑いためもある。
 下村は暑い暑いと思いながら歩いている。頭の中にあるのは暑いということだ。だから暑さだけを意識しているようなもの。今、何を思っているのか、考えているのかと聞かれると、暑いことだと即答できる。
 さて、その中身だが、炎天下でも人は歩いている。だからそれほど危険なことではない。これがばたばたと人が倒れ出せば、危険と言うより、死にに行くようなものだろう。
 暑くても、前後左右の人がバタンバタンと倒れていない。当然そんなことは下村は知っている。だから炎天下でも出掛けたのだ。
 ものすごく暑い日でも人は外に出ている。炎天下でも丸一日そこでやる仕事もある。職業柄仕方がないだろう。暑いとは感じながらも、やるべきことをやっている最中は、暑さを忘れるのかもしれない。
「暑さを克服するには熱中すればいい」
 と下村はヒントを得た。前を行く学生が暑さを忘れて盛り上がっているのがその証拠。会話で暑くなり、さらに炎天下でさらに暑いだろうが、ばたばたと倒れるほどのものではない。火中に突っ込むわけではないのだから。
「熱中すれば、熱中症ではないか」
 それよりも、暑いということ以外のことを思えばいい。暑い暑いというとよけに暑くなり、頭もふらふらしてくる。
 冬山で遭難し、その間、春の風景を思い浮かべていた人が助かったように、真夏は真冬の寒い頃の風景を思えば、楽になるかもしれない。雪が降っているシーンを下村は思い浮かべた。すると、少しだけ涼しくなった。
「これは自己暗示だな。自己催眠だ」
 しかし、浅かったためか、すぐに暑さに気付いたとき、余計に暑くなった。
 それ以前に、そんな炎天下、何をしに外に出たのか。ここに鍵があった。それは夏を感じたいと思い、外に出たのだ。用もないのに、ウロウロしているだけのことだが、感じるよりも具体的に体が焼かれるようなものなので、思っているだけの話ではない。
 ということは暑さにあたりに来たのだ。だから暑さを期待して外に出たことになる。そして期待通り、暑い。
 だから、それでいいのだろう。
 
   了




2017年8月3日

小説 川崎サイト