小説 川崎サイト

 

犬の盆

 
「お盆休みはどうしておられました。相変わらず休まないでお仕事ですか」
「いや、帰ってました」
「え、こちらが出身地と聞きましたが」
「ええ、ここが実家です。私はここで生まれ育ち、他所へは一歩も出ていません。珍しいでしょ。一度も引っ越しなどしなかったのは」
「じゃ、どちらへ帰っていたのですか」
「あっちはガラガラのようなので」
「あっちとは」
「ご先祖さんがいる場所ですよ」
「はあ」
「あっちはお盆でみんな娑婆へ来てますから、ガラガラで、すいていていいのでね」
「そこへは気楽に行けないでしょ」
「だから、冗談ですよ」
「そうでしようねえ」
「ご先祖じゃないけど、珍しいものが帰って来ましたよ」
「誰か訪問者でも」
「人ではありません」
「亡くなった方でも一応人でしょ。仏様になっても」
「犬です」
「はあ」
「初めて帰って来ましたよ。流石に犬のお供えは用意していませんでしたから、慌てて鰹節入りのご飯を作って供えましたよ」
「他のご先祖様は」
「帰って来ているはずなのですが、見えません」
「じゃ、犬は見えたのですか」
「犬は仏になれないんでしょうねえ。畜生のまま」
「はあ」
「その犬、子供の頃に私が拾って飼っていました。昔なので捨て犬は結構いたのですよ。でもその犬は子犬で、何匹か一緒に捨てられたのでしょうねえ。その中の一匹だと思います」
「はい」
「家族全員で可愛がりましたよ。しかし馬鹿な犬でしてね。何をするにも不細工。不器用な犬でしてねえ」
「それも冗談でしょ」
「そんな犬がいたことは確かですよ。遠い昔ですがね」
「でも、戻って来ないでしょ」
「お盆の夜に、急に思い出したのですよ。それで、戻ったのかなと思いました」
「見たわけじゃないのでしょ」
「そうです。しかし、来ていたのでしょ」
「はあ」
「それで好物だった鰹節でかき混ぜたご飯を供えました。待てが効かない犬でしてね。どう仕付けても無理でした。だから供える寸前に、もう鼻を入れていたと思いますよ」
「なるほど」
「実はその犬の形見がまだあるのです。すっかり忘れていましたが、柱の上の方に今もぶら下がっています。お守り袋のようなものですが、その犬の毛がまだ入っているはずです」
「よく捨てないで」
「高いところ、殆ど天井に近い箪笥の後ろの柱なので、放置状態です。他にももう期限が切れたはずの御札とかも貼ったままですよ」
「その後、犬は飼われましたか」
「死んだとき、あまりにも哀しかったので、もう生き物を飼うのはこりごりだと親がいいまして、飼ってもらえませんでした」
「今も」
「そうですなあ。だから、帰って来た犬は、あの犬に間違いありません。一匹だけですから」
「しかし、思い出しただけでしょ」
「お盆の夜に思い出したのですよ。それまですっかり忘れていたことなのですよ」
「そうですねえ」
「だから、帰って来たことを知らせたのでしょ。不器用な犬でしたかが、懸命に何かを訴えるのは得意でしたから」
「はい」
「これを犬の盆といいます」
「犬盆ですか」
「はい、だから、大文字焼きも、大に点を加えれば、犬文字焼きで、丁度いいのです」
「下に付けると太文字焼きですね」
「ああ、太字か」
 
   了

 


2017年8月16日

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