小説 川崎サイト

 

避暑地

 
 あともう少しというところに、この山地では最高峰を越えることができるのだが、最後の難所が七曲がりの胸突坂。斜面がきつすぎるため、ジグザク道にしているものの、余計に距離が長く感じる。その頂上に古道があった。
 山越えならもっと低い場所があるのだが、麓からいきなり最高峰を目指すのは、その方が早いからだ。そして越えるのではなく、峰伝いに行く。里の人間も、この山地を越えることはあるが、その向こう側へ出るためだ。
 しかし里へ出ない者にとっては、尾根道の方が早いし、迷うことはない。山頂には昔から道がある。道というより、通れるようになっている。ただ余計な岩などは避けるが。
 この峰道を行く人は遠くから遠くへ行く人が多い。しかも集団で歩いていることがある。これは集団移動だろう。見晴らしがいいので、迷いにくいこともあるが、人目を避ける意味もある。里人は頂上まで来る用事がなく、あるとすれば山越えの峠道程度。
 この人達は里の人間ではないが、何処から来た人達なのかは分からない。尾根の各所に手掛かりを残している。それは石饅頭だったり、石組みや石積みだったり、また岩に印のようなものを刻んでいる。つまり、その人達にとって、峰道は日常の道で、通り道だった。
 その峰道をたまに修験者が歩くこともある。何かの行ならもっと歩きにくい坂の多い道がいいので、峰歩きはマラソンのようなもので、長距離ものの行だろう。峰の中には平地に近い場所も結構多い。それは山の端を見ていれば分かる。
 今では峰歩きは登山では普通にやっているので、その登山者がしそうなことを、昔の人達もやっていた。ただ、趣味で登っていたわけではなく、移動や仲間達への連絡のため、目印などを残していたのだろう。
 明治に入ってから西洋人が西洋風な登山道を開いたと言うが、これは開かなくても最初から開いている。用がなければ山頂までは行かない。それにそこは神の土地で、人の土地ではない。一種の聖地だった。しかし、それ以前に国内の山を全て踏破し倒し、そこを普通の高速道路のような移動ルートとしていた人々がいたのだ。これは山岳信仰の山開きとはまた違う。そこは修験のための道場だが、その前の人達は日常の場だったのだ。
 その人達は何処から来たのだろう。きっと寒いところから列島に来たのだ。だから麓は暑いので、涼しい山頂付近を住処にしたのかもしれない。
 
   了



 


2017年8月27日

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