小説 川崎サイト



癒しの雨

川崎ゆきお



 南からの風が吹き込んでいるのだろう。春先の雨としては暖かい。
 河野は濡れるがまま自転車を走らせる。既に深夜だ。
 小雨程度では傘は差さない。服が濡れ切るまでには部屋に戻れる。折り畳み傘はあるが開けるのが面倒なのだ。
 それにこの前までの雨と違い、暖かいのが嬉しい。
 コンビニで弁当を買っての帰りなのだが、暖かい雨が気に入ったのか、交差点を左折する。部屋の方角とは違っている。
 もう少し、このまま走っていたいのだ。
 これは健康的な運動ではない。何かが病んでいるのだ。
 食欲がないため、弁当は温めてもらっていない。食べ切れる自信もない。それなのにボリュームのある海苔弁を買った。チクワや魚のフライがどんと乗っている。お茶づけ程度の食欲しかないが、もっと食べる必要がある。
 それで食べ切る自信もないのに海苔弁を買ったのだ。部屋に戻ってから食欲が出るまで待つ作戦だった。
 しかし、この暖かい雨が河野の心を癒したようだ。
 安らぎがそこにあった。
 河野は適当に自転車を走らせた。目的地などない。こうして走っていることが目的だ。
 やがて雨脚が強くなり、顔が濡れ出した。さすがにこれは不快なようで、折り畳み傘を取り出した。固くなっているのか心棒が伸びない。あまり力むと腕の筋を違えそうだ。三回ほど力み、そして無事延ばす。
 今度は傘が開かない。さびているのか、骨の関節がパッと開かない。力を入れすぎると、傘の骨で指がやられそうになる。
 しかし、河野は苛立たない。心持ちが丁寧になっているのだ。開かなくてもかまわないと覚悟する。これもまた成り行きで、成るに任せることにした。
 開かなければ次に見つけたコンビニで、折り畳み式ではないビニール傘を買えばよい。実際にはビニール傘も放置しているとビニールがくっつき、開く時もはがれないことがある。河野はその体験があったので、ビニール傘を避けていたのだが、今は受け入れる心境にある。
 しかし、傘は開いた。さびの粉が舞ったのか目が痛い。
 傘を差すと頭や顔は濡れない。再び暖かい雨を楽しむことができる。
 今夜の河野はいつもと違う。
 癒しの雨を受けたためだろう。
 
   了
 
 
 


          2007年5月2日
 

 

 

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