小説 川崎サイト

 

苦楽

 
「最近楽しいことはありませんか」
「楽しいことはありません」
「それじゃ終わってしまうでしょ。何か楽しいことを」
「そこなんです。楽しむには苦しまないとだめなんです」
「そうなんですか」
「だから苦しいことをすれば楽しめます」
「え、苦しいことが楽しいのですか」
「そんなわけがありません。苦しいことをしていると、一寸したことでも楽しくなるものです。楽しいときに一寸した楽しさなんて、目じゃないでしょ。より楽しいことじゃないとね」
「はあ」
「じゃ、苦しいことを始められては」
「そこなんです」
「はい」
「敢えて苦しいことをしますか?」
「しません。しかし、その先に結果として楽しいことが待っているのでしょ」
「待ってません。ただの心理です」
「はあ」
「苦しいことをした成果で、楽しめるんじゃないのです。それをいくらやり続けても楽しい結果など滅多に出るものじゃありませんからね」
「はい」
「私も楽しみたい。しかし、そのために苦しむのはいやだ。だから楽しくないという状態を続けているのです。何か楽しいことがないかなと、ずっと待ちます。これは別に苦痛じゃありません。楽しくないだけですから」
「要するに賭け率の問題ですか」
「さあ、それだけでは決まりませんよ。偶然というのがあります。これは因果関係のない偶然です。それで楽しい状態になることもありますよ。しかし、楽しみ慣れていないと、よい条件になっても、何をどう楽しんでいいのか分からなかったりします。今楽しまなければいつ楽しむのだという状態なのにね。楽しさ慣れしていないと、そうなります。ここで手放しではしゃいでもいいのに」
「それは宴のあとの寂しさを予測してのことですか」
「そんな読みはありませんよ。気持ちの問題なのです。だから最近は苦しくなければ、御の字だと思うようになりました」
「はあ、それは安く付きますねえ」
「しかし、人間というのは生きていることそのものが苦なのです。だから、それが普段の姿なので、たまに来る楽しさを少しだけ味わって、また苦海を泳ぐことです」
「坊さんのような言い方ですが」
「楽しさや苦しさを超越した心境が好ましいのですが、これじゃ生きている実感がないでしょ。喜んだり悲しんだり、感動したり、落ち込んだり。大笑いしたり」
「はい」
「まあ、楽しいことも苦しいことも、勝手にやって来ますから、探す必要はないのです」
「それを会得されたのですね」
「していません」
「あそう」
 
   了


 


2017年9月8日

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