小説 川崎サイト

 

月見山

 
 月見山。まさにそのままの山だが、この山では未だに月見が行われている。平地からでも月は当然見えるのだが、この山からの眺めがいいらしい。背景が違うためだろう。しかし、今では麓まで家が建ち並び、いい背景ではなくなっている。月よりも町明かりの方が明るい。
 この月見山での月見、行く人はもういなくなったが、それは表向き。今も実行されている。
 月見には箒のような長いススキとか、団子とかを供えるのだが、ススキはそこら中にあるので、白くて丸い団子だけを準備すればいい。実際は花見のような宴会セットが運ばれる。
 月に対する信仰のようなものだが、そういうのはもうかなり前に消えており、それが目的ではない。信仰や風流とは違い、もっと具体的なことで集まるのだ。
 その夜も月見山へ向かう人が数人いる。いずれも老人だ。元々は里の有力者の家系で、何家もあったが、今では三家ほどに減っている。
 昔は月見と称して、村での大事を、ここで決めていたのだ。そのため、月見山で月見ができる人は限られている。里での月見は各家が勝手にやればいいし、個人でやってもいい。
 もう里での有力者ではなくなった人が月見山に行くのだが、小さな東屋が山の端にあるが、今は展望台の休憩所になっている。そこが昔は祭壇のようなもので、さらに東屋はもっと大きく、有力者達が何人か車座になり座り、宴会ができるほどの規模があった。
 今はただの公園のベンチよりも立派なだけ。屋根が付いている程度。
 その夜、来たのは三人の年寄り。既に相談するような決め事はない。だから普通の月見になってしまったのだが、月見山に参加できることは、有力者の証で、名誉なことだった。
 有力者は年により変わる。没落すれば、メンバーから外れ、別の家の人が取って代わる。今は三人。メンバーが足りないほどだ。
 そして月見山での密会となるのだが、密かに語らなければいけない大事な取り決めもないことから、病院の待合室のような会話になってしまった。
 
   了

 


2017年9月11日

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