小説 川崎サイト

 

お百度石

 
 その神社のお百度石は鳥居の下にある。邪魔なのではないかと思われるのだが、実は邪魔をするために立てられている。車止めの鉄柱に近い。これで柵をする必要はなくなる。神社へは石橋を渡らないと入れないが、盛り上がっているが幅はがそれなりにあり、普通車が突っ込むことができる。だから最後の防御がお百度石なのだ。しかし、それでは境内の奥にある社殿の火災では消防車が入っていけないためか、入り口はもう一つある。こちらは最初から木組みの柵が施されており、そこが開くことは先ずない。あるとすれば境内で行事のあるとき、神輿を出したり、その他、正月明けの焚き火であるトンド焼きのときぐらいだろうか。
 この開かずの木柵、車専用なのだ。鳥居前に細い川が流れているが、飛び越えられる程度。そこはアーチ型の石橋ではなく、普通のコンクリートの橋。車両専用口ということだ。
 しかし、それは消防車だけが入っていくためのものではなく、境内に神主の住居がある。この通用口なら鳥居を潜らなくてもかまわない。また境内の樹木などの手入れで植木屋の自動車も入れる。神主の車は境内ではなく、近くの駐車場にある。柵を毎回移動させるのが面倒なためだろう。
 さてお百度石だが、お百度参りをしている人などいないが、この石そのものを拝む人がいる。お百度石から出発して、本殿で参り、またお百度石に戻り、また本殿へ向かう。これを百回やるのがお百度参りだが、お百度石だけを拝むというのは珍しい。この神社だけのマジナイのようなものかもしれない。それは神社の行事として書かれていないし、正式なものではない。
 何に効くのか。それはお百度石の位置だ。車止めなのだ。だから、これを拝むと車除けになる。交通安全に効くことになるのだが、お百度石はただの目印のターニングポイント。そのものには本来意味はない。
 その目印を信仰対象にしていることになる。当然どのお百度石でも交通安全に効くわけではなく、この神社と同じ構造でないと駄目だ。車止めとしても使える位置に立っているお百度石に。
 
   了

 


2017年9月13日

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