小説 川崎サイト

 

東屋の読書人

 
「同じ人かも」
 植村は毎日自転車で近所を走っている。散歩のようなものだが、その途中にある公園の東屋で本を読んでいる身なりのいい老人をたまに見かける。道から公園の奥の東屋は遠いので、遠目でしか見ていないが、そこに座っている人がいると、視点がそこに行く。
 ある日、そこからかなり離れたところにある寺へ行った。これは用事の帰りに、寺の境内に立ち寄ったのだ。モミジやイチョウが色づくのにはまだ早いが、この境内は誰でも入れるため、散歩コースには丁度いい。境内は広く、竹林があったり、お堂が点在していたり、野仏などが草むらの中に隠れていたりと、それなりに見所がある。池もあり、鐘撞き堂もあり、山門には立派な仁王さんも立っている。
 その山門に入ったところに龍の口から水の出る手洗いがあり、その横に、これもまた立派な東屋がある。椅子で四方を取り囲んだような建物だが、しっかりと囲いや屋根がある。そして椅子に座っている人は、頭だけしか見えない。
 その頭を見て「同じ人かも」となったわけではない。帽子は似ているが、本を読んでいるかどうかは分からない。それで、囲いが壁になっているので、正面の入り口から覗くと、本を読んでいた。ここで「同じ人のようだ」となる。
 近くに自転車が一台だけぽつんと止まっている。これに乗ってきたのだ。結構遠いが半時間程度。いつも見かけている公園から、ここへ遠征に来たのだろうか。
 公園の東屋は午前中で、夕方前はここにいるのだろうか。もしかして東屋読書の梯子をしている人かもしれない。ベンチではなく、東屋専門の。確かに屋根があるので、夏でも日陰ができるので、都合がいい。
 どちらにしても木々に囲まれ、いい場所だ。
 ずっとそれを覗いていても仕方がないので、少し回り込んで、別のものを見ることにした。池に蓮の葉が浮かんでいる。空気袋が見える。別の浮き草かもしれない。
「浮き草の宿」を植村は連想した。浮き草暮らしとかも。そして東屋をもう一度見た。今度は帽子が見えない。もう帰ったのだろうか。
 植村はもう一度中が見えるところまで行き、確認すると、寝転んでいる。横になってしまったのだ。
 相手からの視線がないことを幸いに、その人を観察したが、着ているものが粗末だし、意外と若い。別人だったようだ。
 
   了



2017年9月23日

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