小説 川崎サイト

 

負けず嫌い

 
 古田は負けん気が強いので、負けるようなことはしない。負けるのが嫌いだが、勝つことが好きなわけではない。それに勝てることなどそれほどないだろう。あっても大したものではなく、勝っても意味が薄い。結果的には勝っても、負けたのと変わらないほどダメージを受けていたりする。
 負けると分かっていることはしないし、勝つか負けるかが分からない場合も、しない。
 そうすると、することがどんどん減っていくのだが、小さなことで勝ち、小さな喜びもある。これは誰でも勝てそうなもので、勝っても価値は少ないのだが。この繰り返しを古田はやっている。
 そして、いつも勝ち組に加わっているのだが、組は勝っても、古田は勝っていない。それほどの働きはしていないので、評価が低いのだ。しかし勝ち組の最下位の方が、負け組のトップよりもいい。
 勝つと思っていたことでも負けることがある。このときはそんな試合などなかったことにし、勝敗の外へ逃げる。
 あまり立ち振る舞いはよくないのだが、その手が古田には合っているようで、このやり方で生きてきた。その評価は低く、寄らば大樹の影的人間であり、大勢に巻かれる人間だったが、その大勢の側の力が弱まりだすと、これは負け出すため、さっと乗り換える。そこにはポリシーはない。負けるのが嫌なだけ。
 たった一点、生きる道標が絶対にぶれないものがあるとすれば、負けるのが嫌なこと。これだけはずっと変わらない。これはただの性癖だ。また負けず嫌いの美点は古田にはない。負けると分かっていても勝とうとする負けず嫌いではない。
 つまり負けず嫌いの質が違う。といっても古田は結構負けている。いつも負けているようなものだ。だから負けず嫌いになって当然だろう。負けるのが苦手なのだ。だから負けない方法だけを考えているのだが、それでも負ける。だから人一倍負けることに通じている。負けず嫌いのはずなのだが、負け好きのように、慣れ親しんだものになっている。
 負けないように上手く回避しているつもりなのだが、逃げ切れなかったりする。だからますます負けず嫌いになる。
 そのため、勝ちの一手より、負けの一手の方を多く知るようになる。
 当然古田は自分自身にも負けている。負けないようにすればするほど負けるのだが、その教訓にも負けず、負けず嫌いの方針を変えようとしない。
 ある日、古田は思った。負けず嫌いとは何だろうかと。結論は簡単に出た。ただの気分の問題で、負けると嫌な気になるので、負けず嫌いをやっているだけのことだと。
 ここで一歩踏み出して、勝つ事へと転じればいいのだが、勝って美酒を味わう気はない。負けなければそれで充分だったのだ。
 勝つよりも負けないこと。負けていなくても勝っているとは限らない。
 
   了


 


2017年10月18日

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