小説 川崎サイト

 

暗々亭

 
 嵐の夜、水木はずぶ濡れで山道をバイクで走っていた。そういう趣味があるわけではない。また競技でもない。部屋を出るときは降っていなかった。たまの休みも狭い部屋でゴロゴロしていることが多いので、広い場所へ行きたかったのだろう。それで行きすぎてしまった。山中に入ると市街地のように縦横に道路が走っているわけではないので、たとえ広い場所でも通れる道は限られており、しかも方角も、その道を選んだことで決まってしまう。途中で変えたいときも、枝道や交差する道と出合わなければ無理。それまでは好むと好まざるとに関わりなく、ずっと先まで走ることになる。さいわい、この辺りには滅多に来たことがないため、どの道を走っても結構新鮮で、満足していた。
 しかし、山に入りすぎたようで、枝道や脇道がない。あることはあるが、地肌の見えた山道。徒歩ならいいが、バイクだと途中で引き返すことになりかねない。
 気が付けば大きな山を越えていたようで、空気が違ってきた。分水嶺を超えたのかもしれない。そこから雨が降り出したのだが、まだ小雨。合羽の用意をしていなかったのが残念でならない。いつもバイクのシートの下に入れていたのだが、雨の日に着たまま、入れ直していなかった。
 戻るにしても、後ろを見ると大きな山塊。そこを越えて来たのだが、戻っても雨宿りができそうな場所はなかった。最後に見た町は遙か彼方。それなら先へ進んだ方がいいと思い、そのまま走ったのだが、来たときと同じように、人家は見えない。分水嶺は一番辺鄙なところにあるのだろう。端と端。果てと果ての間の山。
 暗くなり始め、雨はますます強くなってきた。こんなときは、市街地まで降りて、ビジネスホテルにでも泊まる方がいい。もう簡単に戻れる距離ではなくなっている。それにずぶ濡れで走るのはきつすぎた。
 今は雨宿りをしたいのだが、木の下などに入り込めばましだが、こんなところで一息つきたくない。
 そして長く続いていた下り坂が平らになったとき、橙色の明かりが見える。人家だ。山小屋にしては道路沿いにありすぎる。こんな自動車道路は最近できたはずなので、その建物も最近のものだろう。しかし、こんなところに建てても客など来ないはず。一応道路沿いにあるのだからドライブインだろう。
 近くまで行くと看板に暗々荘と書かれている。僅かだが照明をあてている。暗々なので、暗いままにしておけばいいのだが、それでは夜は読めない。
 看板の下に窓のある大きなドア。明かりは点いているので、営業中だろう。暖簾があれば、出ていればすぐに分かるのだが、山荘と暖簾とは相性が悪いのだろう。水木の感覚では銭湯の暖簾が頭にあるのだが、建物は銭湯ほどに大きい。温泉でも湧いているのだろうか。それで山荘。宿屋かもしれない。これはさいわいだ。
 しかし、その手は桑名の焼きハマグリ。こんなところに望み通りのものが建っているわけがない。それに嵐の夜の山荘とはできすぎている。
 今、水木が欲しいと思っている施設がそこにある。雨宿りしたい。体を温めたい。それが温泉。そして何かボリュームのあるものが食べたい。それはここで可能かどうかは分からないが、もう少し近付いて見るとぼたん鍋という文字が窓から見える。猪の鍋物だ。これだ。填まりに填まっている。
 だからその手は喰わないと水田は思ったのだ。これは何かの間違い。おそらく幻覚だろう。秋の雨は冷たい。ここに入ればくつろげるだろうが、そのままいってしまうだろう。翌朝の新聞には山道で遭難。しかも幹線道路沿いの道端で倒れていたとなる。
 くわばらくわばらと思いながら、その誘惑に乗らず。深夜までかかって市街地に出て、ビジネスホテルを見付け、難なきを得た。しかし、ひどい風邪で、二日ほど連泊した。
 帰るとき、町の案内板を見ると、暗々亭が載っている。温泉旅館だった。
 実在していたのだ。
 
   了
 


2017年10月26日

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