小説 川崎サイト

 

踏み迷う

 
「モミジの名所でしてね。ややこしいことになるとは思いもよりませんでしたよ。踏み迷ったと言うべきでしょうか。少し外れてしまいました。でもその先にまだ赤いものがありましてね。少し上り坂になりますが、道らしきものはありません。滅多に人が足を踏み入れない場所なんでしょうなあ。しかし下を見ると、大勢の観光客がいる。だから安心していました」
「何が起こったのですか」
「もう年なので、今年が最後の紅葉狩りになるやもしれぬと思いながら、目に焼き付けに来たのですがね。いい思い出になると張り切ったのがいけなかったのか、坂道も苦にならない。まだまだいけると、奥へ奥へと踏み込んでいったのです。これじゃ来年も来られるなあと嬉しがりながらね」
「迷ったのですか」
「振り返ると、大勢の人がいた場所がもう見えない。別の谷間に入り込んだのでしょうなあ。しかしモミジはまだありました」
「迷ったのですね」
「先へ先へと進んでいるので、迷うような感じではありません。もと来たところを戻ればいいので、そのときは迷ったとは思いませんでした」
「しかし、ここでこうして話されているのですから、結果的には戻れたわけでしょ」
「そうです」
「それで何があったのですか。そのややこしいこととは」
「気が付けば山中にいました。山襞がいくつも見えます。山一つぐらい超えたというか、過ぎたのでしょうねえ。沢伝いに来たと思いますから。それに息もそれほど上がっていない。山を乗り越えたわけじゃない。それで場所を確かめようと少し高いところに無理に登ったのですが下を見ても山また山。大勢人がいた場所からなら下の町がよく見えるんですよ。それよりも高いところに立っているはずなのに、町が見えません。遠くを見ても、ずっと山が続き、そして赤く霞んでいます。紅葉で山の色が変わっているんでしょうねえ。それと」
「何ですか」
「高圧線が見えません」
「高圧線」
「鉄塔です。山に一つもそれがない」
「はあ」
「最初は気付かなかったのです」
「そんなに遠くまで来たのですか」
「そんなはずはありません。一時間も歩いていませんよ」
「はい」
「それで怖くなり、踏み込んではいけない世界に踏み迷ったのではないかと思いまして、すぐに引き返しました」
「はい、それでこうして無事に戻って来られた」
「帰り道、真っ赤なんです」
「紅葉でしょ」
「こんなに赤くはありませんでした。目が悪くなり、全部赤く見えるのかと勘違いしたほどです。地面も落ち葉で真っ赤。いくら紅葉の季節でも、こんなに赤くありませんよ。来るときはところどろろに赤いものが見えていました。だからそれに誘われて奥へ奥へと踏み入れたのですがね。ですから違うところを通っているのだと、すぐに分かりました」
「モミジですか」
「分かりません。もしモミジなら、ものすごい数で、ものすごい密度です。人が大勢いたところが一番モミジやカエデが多いのですが、ここはそんな規模じゃない。だから、ここが名所になるはず」
「そこを抜けて戻られたのでしょ」
「そうです。怖くなって走り出しました。下り坂なので、ものすごい早く。何度か転びましたが、何とか人が大勢いるところまで戻れました」
「無事で何よりです」
「目の前が真っ赤でした。あれは何だったのでしょうねえ。これじゃまるで赤目の滝だ。しかし、目の前が真っ黒になるよりはましですが」
「そうですね。目医者へ行くことです」
「あ、はい」
 
   了


2017年11月28日

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