小説 川崎サイト

 

内なる世界

 
 風邪が入ったのか内田は元気がない。積極的に何かをする気が起こらない。気分も盛り上がらないので、好きなことをしていても、今一つ乗らない。
 外気は冷え冷えとし、底冷えがするが小雨。雪にならない方がましなのだが、冬の暗さが重々しい。当然日差しはなく、外は暗い。
 こんなとき、内田は内なる世界に籠もりたくなる。外へ向かう気が失せるためだ。しかし何をするにしても内だけのことでは済まない。内もまた外にある。外もまた内にあるので、観念世界だけで暮らしているわけではない。
 やはり風邪で気が塞いでいるのか、大きなことはできないが小さなことならできるというわけでもないようなので、何もしたくないのだろう。
 風邪を引いているのだから、安静にし、寝ていればいい。だから何もしなくてもいいのだが、寝込むほどの症状ではない。少し風邪っぽい程度。
 早い目に仕事を済ませたのだが、殆ど捗っていない。集中力がなくなっているため、途中で投げ出し、仕事をしている振りをしながら勤務時間まで過ごした。ここが一番きつかった。
 事務所を出ると、雨が降っているので、地下道の入り口まで小走り。まだそれぐらいの体力はあるが、息苦しい。これは寄り道しないで、地下鉄に乗り、そのまま私鉄に乗り換えて、さっさと帰るのが好ましい。いつもは乗換駅が繁華街のため、そのあたりをウロウロしてから戻っている。ほぼ毎日そこで夕食を済ませていた。
 しかし、こういう場所ではあっさりとした軽いものはあまりない。お茶漬けを食べたいのだが、そんな専門店はない。焼き肉屋や飲み屋にあるのだろうが、メインを食べ終えてからの話で、それだけを食べに来る客はいないだろう。
 しかし、壊れかけの大衆食堂があるのを思いだした。ただのめし屋だが、まだ潰れないである。その店にはお茶漬けはないが、ご飯にお茶をかければ、それで済むことだ。おかずの漬物は最初から付いてくる。沢庵が二切れほど。普通のおかずは、皿に盛られて並んでいる。これは軽い物を取ればいい。
 繁華街は元気で景気のいい食べ物屋が多いため、弱っているときの病人食のようなものを出す店は最初から期待していない。元気な人向けの店ばかりだ。弱っているとき、そういう看板や飾り付けがうるさく見える。
 その裏道に入ると雨は強くなっていた。その通りはアーケードがないので、濡れること覚悟で、小走りで暖簾を潜った。
 夕食時間帯だが客は少ない。ここはサラリーマンが昼に食べに来ることで持っているのだろう。どの店も昼は満席で、その客が流れてくる。ここで満席なら立ち食い蕎麦屋程度になる。
 タラコの焼いたものはないが、菜っ葉を卵で綴じたものがあっさりしていそうなので、それを手にする。出てきたご飯に、大きな薬缶でお茶を注ぐ。テーブルに醤油やソースと一緒にコショウと塩があったので、塩を振る。これでお茶漬けが出来上がった。
 風邪薬を買うのを忘れていたが、眠くなるし、今飲むとまずい。あれは睡眠薬と同じなので、要は寝て治すのが基本なので、別に困らない。寝る前、頭が冴えすぎたとき、風邪薬は鎮静効果もあるので、飲むことはあるが、今日は内なる世界に入り込んでいるので、頭のさえはない。
 お茶漬けをすすり込むと汗が出てきた。やはり風邪だろう。この汗で治るかもしれないが、体力が一段階減ったような気がした。
 それで、さらなる内の世界へと思いを巡らし始めた。これはヒストリーだ。内田自身の物語を語り出した。単に昔のことを思い出すだけなのだが、内田が内田であることの証しのようなものなのだが、そういう意味ではなく、以前に体験した楽しい思い出を再現させているにすぎない。
 内田が内田であることは過去の思い出の中にしか入っていない。これを単に取り出すことが、内田にとっての内なる世界で、大袈裟なものではない。まるでそれをドキュメンタリー番組の語り手のように、頭の中だけで語り始める。
 だから単に思い出に浸っているだけのこと。
 そして食べ終えた内田は勘定を済ませ、ガラス戸を開け、暖簾を頭で押し、裏通りに出たとき、雨はやんでいた。さっきまで雨音がしていたのに、急にやんだのだろうか。
 アーケードのある本通りまで走る必要がない。裏通りはがらんとしているが、表通りの横が遠くからでもよく見える。裏道の幅だけのスクリーンのようで、通りすぎる人が見える。そちらは明るい。
 ふと後ろを見ると、右に大衆食堂があるのだが、その裏道の先がまだある。ここは行き止まりで、ホテルの裏側の壁で終わるはずなのだが、小さな灯りが長く長く何処までも続いている。
 以前からそうだったのかもしれない。別の裏通りだと勘違いしていたのだろう。
 内田はそこへ踏み込む気力も体力もないので、無視した。これがさいわいしたのか、無事戻ってこられた。
 
   了


2017年11月29日

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