小説 川崎サイト

 

お待ちなさい

 
「ちょいとお待ちを」
 背後から声が聞こえるので、武者は振り返るかどうかと考えた。街道筋の人家のある通りにさしかかっている。宿場町ではなく、ただの村落だろう。振り返らなかったのは声が気になったため。籠もった声で、しわがれてもいるので、年寄りだろう。声をかける側に利があって、かけられた側は損をすることが多い。用事はこちらにはなく、相手にある。相手の何かを満たすだけ。決していい話にはならない。
 武者はそのまま歩を進めると、「お待ちなされ」と、また声がかかる。何かに困っている人なら応えもしようが、そんな声の質ではない。それに待てとしか言わない。先に用件を言うべきだろう。
 武者はそのまま先へと進み、人家のあるところまで出た。そして振り返ると、もうその声の主はいない。妖怪変化の仕業ではないかと、自分なりに納得し、小物などを売っている店に立ち寄る。先日買った印籠がどうも気に入らない。ここに腹薬を入れているのだが、印籠が小さすぎる。大きすぎると不細工だが、もう少し大きい目が欲しい。それと飾り紐が短いタイプがいい。長く垂れていると、まとわりつくようで嫌なのだ。
 印籠を物色していると、先ほどの声がやはり気になった。振り返ったとき、確かに姿はなかったのだが、何処に隠れたのだろう。人家は左右にはまだないし物陰もなかった。
「妙な声色の年寄りに声をかけられたのですが」
 武者は店の者にそれとなく聞いた。
「ああ、出ましたか」
「出たとは」
「お待ちなさいと引き留めたのでしょ」
「そうです」
「それで振り返ると誰もいない」
「その通り。誰ですか?」
「見たものはおりません」
「バケモノですか」
「その種です」
「よく出るのですか」
「さあ、たまにそんな話を聞く程度」
「何者でしょう」
「世の中にはうかがい知れぬことがあるようです」
「そうですね」
「噂では僧侶ではないかと」
「確かにあの声の出し方はお経を唱えているときの節回しに近いですねえ」
「仏法僧と名付けている人もいます」
「私は振り返りませんでしたが、それで良かったのですか。無視した感じになりますが」
「一緒です。無視しようがしまいが」
「危害はないと」
「はい」
 結局この妖怪は、既に正体が分かっていた。鳥なのだ。「お待ちなさい」の一つ覚えで、語尾が少し変わるがそればかりを繰り返しているらしい。
 振り返り、誰だろうと人は探すが、鳥など探さない。それだけのことだ。
 武者は欲しいと思える印籠はなかったが、まだましなのを買い、通りに出て、来た道を見ると、彼方に小さなものが飛んでいるように見えたが、雀だった。
 
   了


2017年12月12日

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