小説 川崎サイト

 

道を違える

 
 米田は少し変化が欲しくなり、道を一つ変えた。普通のありふれた町で、碁盤の目のように道はある。家までの道がまっすぐな道なら変える気にはならない。これは寄り道だ。そして寄るところなどないのなら違う道に入り込まないだろう。
 ところが、今、通っている道は変えてもいい道。家の方角は斜め方角、だからジグザグに通っても時間はほぼ同じ。
 しかし、いつもの道筋があり、道順がある。不思議と行くときもその道筋になる。住宅地の中の道には名さえない。私道も含まれている。
 その日、何を思い付いたのか、別の道筋に入って行った。といっても知らない道ではない。大きな車などが止まっているとき、それを避けて横道に入り込むことがあり、一度も通ったことのない道を探す方が難しいほど。そういった道を普段通らないのは、通る必要がないため。そして慣れた道筋の方が考えなくてもいいので、楽。
 道筋を変えてみようと思い付いたのは、変えてもかまわないためだ。その気になればいつでも変えられる。そのことを証明するため変えるわけではないが、一寸した刺激が欲しかったのだろう。筋を一つ変えただけでは大した刺激とは言えないが、一寸は変えられる。ほんの少しだ。
 今までもたまにそういうことがあったのだが、その行為で何かが変わったわけではないし、大変な目に遭ったこともない。やはりいつもの道筋を通っていれば災難に遭わなかったのに、と思うような。
 だから道筋を変えても影響はない。たまに入り込む道筋なので、久しぶりに見る道沿いの風景が楽しめるのだが、ものすごく楽しいというわけではない。大喜びしたり、感動したりとか。
 だから一寸した目先の変化で済む。対価が少ないので、得られる変化も少ない。
 それで、いつもは左に入るのだが、右に入った。実はこちらの方が距離的には近いのだが、交差点が多い。それで避けていたのだろう。
 左右に住宅が並び、その向こうも家ばかりで、大した風景ではない。ただ庭木などに変化があり、柿が実っていたり、鴉がつつきに来ていたりする。鴉は柿の葉が落ち、柿が熟し切るのを待っているようで、それと実をもぎ取りやすくなるまで待っているのだろう。だから実が成ってもすぐには取りには来ない。柔らかな食べ頃よりも、うまくいけば銜えて引きちぎり、お持ち帰りして安定したところで食べたいのかもしれない。
 その日は柿は柿色をしていたが、鴉は来ていなかった。この柿の木を見ただけで、道を変えただけの値はある。ものすごく安い値だが。
 それで、気が済んだのか、いつもの道筋に合流するため、さらに違う筋へと入り込んでいった。
 その辺りもたまに通るので、見知らぬ場所ではない。方角もしっかりと分かっているので、いつもの道筋へ出るのは簡単な話。
 ところがその道が見つからない。通り過ぎたのかもしれないと思い、周囲を見渡すが、確認できるものがない。
 小さな児童公園がある。しかし、いつもの道筋との関係までは分からない。
 方角も間違っていない。ただし頭の中だけの方角だが。
 行けども行けどもいつもの道筋に出ない。何処かで引っかかるはずなのだが、ない。
 ないわけがない。しかし通り過ぎた可能性が大きくなってきた。結構時間が立っているのだ。圏外に出たのかもしれないが、それと分かる建物もないし、大きい目の分かりやすい通りにも出くわさない。
 そしてやたらと柿の木が多い。庭木だが、あの家にもこの家にも柿の木がある。柿ばかり見ているので、多いと感じるのだろう。
 その先をさらに行くと、流石に見慣れない風景になってきた。家々がいやに古びている。そんな町はこの近くにはないはず。そしてさらに進むと巨大な柿の木。全ての葉が落ち、実だけが鈴なりに成っている。そして柿色の中に黒いもの。鴉だ。
 柿の巨木など、この近くにはない。しかも大きすぎる。柿の木はそれほど伸びない。しかし神社の神木ほどの高さがある。ぐねぐねとした葉の落ちた枝の巨木。これは不気味だ。
 来たなあ、と米田は覚悟した。何かを何処かで違えたのだろう。
 
   了



2017年12月19日

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