小説 川崎サイト

 

寛ぎの場

 
「何処で寛げるかでしょうなあ。楽できるとか」
「何処でしょうか」
「以前はそういう場所が何処かにあるのではないかと考えていたのですが、最近は自分がいつもいる場所に変わりました」
「いる場所?」
「いつも座っている場所です」
「はい」
「安楽椅子とまではいきませんが、べた座りのできる座椅子です。前のテーブルはコタツです。そこにパソコンが乗っています。キーボードも。以前は真正面にテレビがありましたが、パソコンでもテレビを見ることができるので、テレビは使っていません」
「そこに座っておられるときが一番寛ぐのですか」
「ここは私の司令塔。中枢部です。ここから全ての指令を出せますが、実際に動くのは私だけです」
「はあ」
「この指令というのは次は何をしようかという作戦に基づいて実行されます」
「つまり一人参謀会議を行う場なのですね。それじゃ寛げないのではありませんか。テレビを見ているようなわけにはいかないでしょ」
「いや、参謀会議は私一人なので、思い付いたことを実行すればいいのです。殆ど実行していませんので、最近は作戦も練っていません。練りに練った作戦ほど面白味に欠けます。そして重くて腐腐になってしまいます。思い付けばさっとすぐにやる方が好ましいので、司令塔をやる時間など実際には瞬時です。だからあとは寛いでいます」
「何をされて寛いでいるのですか」
「テレビは殆ど見ていません。これは見ていて寛げませんから。それにいらぬ刺激が一方的に襲ってきますからね」
「じゃ、ネットですね」
「そうです。こちらの方が知りたいものを探して見ることができます。まあ、それも限りがありますから、それ以上のことは分かりませんし」
「それもよくある過ごし方ですね」
「そうですねえ。ただ、その寛ぎ方は何もしたくないときに限られます」
「はあ」
「それと私は仕事をしていた時期は、それをやっているときが一番寛げました。仕事を辞めてからは自分の居場所がなくてね。何かしないと一日が長い。だから色々と用事を作って忙しそうにしていましたが、何か違うのです。忙しいので当然寛げません。これは無理に作った用事のためでしょ」
「はい」
「目的が寛ぐことだと気付いたとき、何が一番寛げるのかを考えてみました。何をしているときが寛げるかをね」
「それが部屋でぼんやりとしていることだったわけですね」
「そうです。しかしこれがなかなか難しいのですよ。一番簡単ですぐにでもできることなのですがね」
「退屈するからでしょ」
「それもありますが、時間を忘れるほど寛げるようなものが理想です。なぜか最近、気ぜわしく日々が過ぎ去りましてね。ゆっくりできるはずなのに、なぜか時間が押し気味で、ゆとりがありません」
「全部が全部ゆとりの時間じゃないのですか」
「そうなのです。一日のんびりとしていていいのです。それなのにゆっくりできない。寛いでいるという実感がなくなりました」
「じゃ、部屋の中のその場所は寛げる場所ではなかったのかしれませんよ」
「そうなんです」
「そうでしょ」
「じゃ、他にそんな場所があるのでしょうや」
「さあ、こればかりは個人差がありますし、そんな場所など必要のない人もいますよ。あったとしてもたまに行くだけでしょ」
「たまねえ」
「そうです。ずっと寛げるようなことって、ないと思いますよ。たまにそういうのがある程度でしょ」
「そうですなあ」
「それと」
「まだありますか。他に」
「蒲団に入り、さあ寝ようかと思うとき、寛げますよ」
「ああ、一日が終わって、あとは寐るときねえ。確かに寝ているときは寛いでいると思いますが、眠っているのでそんな意識はないので、残念ですが」
「人は必ず寝ます。だから皆さんそこで寛いでいるのですよ」
「いやあ、参考になりしたよ。寛ぐための作戦なんていらないんだ」
「そうです」
「有り難うごじゃいました」
「いえいえ、御達者で」
 
   了

 


2018年1月4日

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