小説 川崎サイト

 

華の時代


「どんな人にも華の時代がある」
「私にもですか。しかし、そんな時代ありませんでしたよ。もう先はそれほど残っていませんし」
「咲き誇っていた時代があったはず」
「なかったです。だからこの先にあるかもしれませんねえ」
「いや、確率としては若い頃から壮年までの間が多い。よく思いだしてみなさい」
「じゃ、咲いていたことに気付かなかったのでしょうか」
「そうです。だからよく思いだしてみてください。よかった時期があったでしょ」
「よかった時期ですか。あまりなかったような気がします」
「それでも、少しましな時期があったでしょう」
「あれがそうだったのかな」
「ほら、出てきたでしょ」
「ましな程度で、華やかなことではなかったです」
「それでいいのです」
「いいんですか、その程度で。そんなもの普通の人ならいくらでもあることですよ」
「でもあなたにとっては希に見ることだったのでは」
「まあ、一番いい時期といいますか、瞬間ですなあ。時期というほど長くないです」
「そのとき花開いたのでしょ」
「そんな大層なことじゃないのですが、あのときはよかったのかもしれません」
「それです。それがあなたの華の時期、華の時代です」
「一瞬ですよ」
「さっと咲いて、さっと散ったのですね」
「そうですねえ」
「そして大輪の花じゃなく、小さな花」
「そうだったのかもしれません。しかし、自分じゃそれが華だった頃だとはとても思えませんがね。一生のうちに華の時期が何度かあるのでしょ」
「一度の人もいますし、何度も咲かせる人もいますし、長く咲かせ続ける人もいます」
「じゃ、まだしっかりと咲いていないのかもしれません。またはそれが華だったとしても、まだ咲かせることができるわけでしょ。二回も三回も」
「そうです。しかしどんな人にでも必ず一度は華の時期があります。短くてもね」
「瞬間だったりして」
「それもあります」
「はい」
「あなたのように華の時期に気付かなかった方が実はよろしい」
「言われるまで気付かなかったのですから、なかったのかもしれません」
「それはうんと若い頃でしょ」
「そうです」
「一番多いのです。その頃が」
「そうなんですか」
「しかし、あなたはそれに気付かなかった」
「それが何か」
「華の時期は誰にでもあるのです。だから咲かせることが問題なのではなく、華の時代が過ぎてからが大事なのですよ」
「咲いたこと自体分からないのですから、大事も何もないですよ」
「一度華の時代を体験した人は、そこに固守します。ところがあなたは、よかった時代などないとおっしゃっていますね」
「無理に思い出せば、出て来ましたが、大したことじゃなかったですから」
「問題は華の時代を過ぎてからなのです。一度目の華は誰にでも来ますが、二度目はその人次第」
「おっしゃっている意味が分かりません。最初の華も強引に思い出せば、あれではなかったかと思う程度で、もの凄くいい時代じゃなかったですよ。だからそれが過ぎたことも分からなかったのですから、私は華とは無縁です。あなたの言われているのは華の時代があった人のその後の話でしょ」
「そうです」
「一瞬だけ、あのときよかったとは思いますが、それは偶然で、人生規模の華ではありませんでした」
「その頃に引っ張られてませんか」
「忘れていたほどですから、影響なしです」
「華のない人なんだ」
「そうですよ。普通はそうでしょ」
「人生には誰でも一度は華の時期が訪れます」
「じゃ私はまだ訪れていないかもしれません」
「よかった頃のこだわりがあなたにはない。だから、私の話は無駄でした」
「これから咲くかもしれません。花咲爺のように」
「じゃ、花咲か爺後のことは、今までの話を参考にしてください」
「え、何の参考でした」
「だから、花咲爺の頃がよかったと思い、それに固守するのをやめなさいということです」
「いや、だから今後も華なんて咲きませんから、そんな心配は無用ですよ」
 老師は難しそうな顔付きで去っていった。
 老師の話を聞いていたのは団子屋の親父。
 花より団子なのだろう。
 
   了


2018年2月16日

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