小説 川崎サイト

 

雨の日とシシャモ


 その日も雨が降っていた。これは出るかもしれないとマスターは期待した。良いものか悪いものかは分からないが、危害を受けるわけでもなく、ただの客。しかし雨の降る日にしか来ない。
 メザシよりも少し軟らかそうなシシャモのような老人で、四季を通じてアイスコーヒーしか注文しない。マスターはもうすっかり覚えたので、注文さえ聞きにいかない。
 シシャモ老人は丸くて小さな眼鏡をかけている。それが魚の目に似ているのだろう。老眼鏡のようで、店に入って来るときや出るときは裸眼。あつらえて作った老眼鏡なので、それなりに高いはず。そして座るなりいきなり端末を取り出し、その蓋を開け、中を覗き込んでいる。スマホにしては蓋がある。キーボード付きのスマホもあるはずだが、そのタイプではなく、かなり分厚いし、スマホよりも大きい。
 何度かそのシーンを見ているので、今では珍しくはない。スマホやノートパソコンのように液晶画面がある。今日は見えないが、それがよく見えるところにシシャモが座ったとき、ちらっと見たことがあるのだが、漢文。全部漢字で埋められていた。漢字圏の人だろうか。そして見かけない端末なので、そのお国の機械かもしれない。
 その端末を触っているだけで、小一時間後、さっと出。そして決まって勘定はきっちり。つまり釣り銭がいらない。
 それだけの客だが、雨の日にしか来ない。
 そして雨の降る日は必ず来る。店が開いている限り、もう十年以上来ている。
 ただ、小雨のときは来ないことがあり、雨量と関係しているようだ。
 シシャモ老人は自転車で来ていることも分かっている。
 マスターは雨の日に出る妖怪のような客だと思っているのだが、正体が知りたくなった。
 雨の日は客も少ないので、コーヒーを運んだときとか、勘定のときに話しかけようとしたのだが、目が怖い。目尻は下がっているのだが切れ長で、眼光が鋭い。黒目が小さいためだろう。そして瞼が大きい。これは本当は目の大きな人で、いつもは半開き程度にしているだけ。だから話しかければ、かっと大きな目になるはず。
 そういった端末を入れている鞄は小さいが本皮で、使い込んだもの。金具の色が濁っている。服装はよく見かけるような一般的なもので、これは同じものばかりではなく、季節によって変えてくるが、くすんだ土色系が多い。靴は普通のビジネス系。だからよくいそうな老人の服装。それなのになぜ雨が降る日にしか来ないのだろう。
 その時間は決まって夕方前。マスターの店は夜になると閉まる。夕方前は一番客が少ない。そのため、このシシャモが最後の客になることも多い。
 雨とシシャモ、その関係がまったく分からない。
 
 さて、シシャモ老人側から言うと、単純な話だ。行きつけの喫茶店があるのだが、遠い。雨の日は近場で済まそうと、その喫茶店へ行っているだけ。
 マスターは、それを知らない。知ったとしても、大した話ではないので、知らない方が神秘的でいいのかもしれない。
 
   了



2018年3月11日

小説 川崎サイト