小説 川崎サイト

 

心情


 心情とはその人固有のものだが、共通した心情もある。それは動物にまで及んだりする。何がそうさせるのかは分からないが、基本的に持っているものだろう。
 これは文化に依存していないこともある。動物にもあるようなことなので。もしかすると虫や草木、岩や石や砂や土にまであるのかもしれないが、それは想像できない箇所。生物までなら何となく重ね合わせることで分かるが、岩になると、これは難しい。想像の手掛かりが少ないためだ。
 心情が発生するには何らかの物語がないと理解しにくい。何らかの物語が織り込まれており、そこからの反応が多いのだが、それだけではないように思われる。反応とした方が分かりやすいだけのこと。
 当然人は固有の生き物なので、いくら共通しているといっても少しは違い、場合によっては正反対の態度をとることもある。織り込まれている物語の解釈が違うためだろうか。当然、生まれ育ってから身に付けてきたものが大きいのだが、それだけではない。くどいようだが共通するものがあり、それらは最初から備わっていたりする。経験で得たものではなく。
 最初から備わっているものに体験、経験、文化などが混ざり合い、同じ文化でも育ち方が違ったり環境が違ったりするので、多種多様な心情が生まれる。だから一人一人の心情、気持ち、思い、などは違う。ただ、共通するものが奥にある。だからバリエーションが多いだけ。
 たとえば心情を語るとき、語るときの心情で違ってしまう。当然心情という言葉の感じ方が違えば使い方も違う。またそれを語るときの時期にもよる。
 そうなるとますます濁ってしまったり、贔屓にしたり、邪険にしたり、何かの反動として匙加減をしたりと、なかなかそのものを語れなかったりする。
 ただ分かっているのは人と動物には心情があるということ。これは動物なので動き回り、他の動物と接触する機会が多いためかもしれない。樹木などはお隣の樹木程度としか接触がない。蔓草に絡まれることもあるが、それほど気持ちを伝える必要はないのだろう。注意しても解いてくれない。
 これも擬人的に見ると、辛そうに生えている木があったりする。枝振りが何かしんどそうな。
 しかし植物と人間の関係もある。よく見詰められている草は、育ちが良いとか、綺麗な花を咲かすとか。そうなると、心情のようなものが植物にもあるように思えてしまう。ただ、「はいそうです」とは聞いても答えてはくれないが。
 心情、それはただ反応しているだけのように見えていても、もっと根深いものが奥で動いているのかもしれない。それは個人を離れて、もっと共通する何かと。
 
   了
 



2018年4月28日

小説 川崎サイト