小説 川崎サイト

 

一本杉


「暖かくなると外に出やすくなると思っていたのですが、まだ寒いまだ寒いと思っているうちに今日などもう暑いほど」
「でも、ここまで出て来たじゃありませんか」
「あなたが呼び出すからでしょ」
「この木は家から遠いでしょ。道中、それなりにありますよ」
「そうです。私なりに遠出です。しかも体調が悪い上に暑い。季候はいいのですが、これじゃ暑すぎてもう夏バテですよ」
「この木は起点です。ここが出発点です。これからですよ歩くのは」
「いや、もうここから戻りの体力もないほど」
「これから森に入りますから、それほど暑くはありません。木陰が続いていますので」
「この木がある場所は知っていますが、何でしょうねえ。森から一本だけ飛び出して、町を見下ろしている」
「かなり昔から立っているようですよ。一本杉と土地の人は呼んでいるようです」
「かなりの樹齢だ」
「伐られずに残っているのは聖木のためでしょ」
「神木のようなものですな」
「神聖じゃなく、人です」
「人が宿っている木ですか」
「この辺りで昔小競り合いがありましてね、ここから里を襲ったのです。裏山から攻められたようなものです。奇襲です。ところが内通者がいましてね。里に知らせたのですよ。それで奇襲部隊のさらに背後に回り込んで奇襲部隊を奇襲したのです。殆どが矢でやられました」
「それと一本杉とはどんな関係ですかな」
「奇襲部隊の一人が里に知らせたわけですから、裏切り者でも、里からすると恩人。それで里で暮らすようになりましたが、どうも寝覚めが悪い。仲間は全滅ですからね。それで供養しました。それらは残っていませんが、杉の苗木を植えました。それが大きくなったのです」
「聖木とは、そのことですか」
「杉の木に奇襲部隊の魂が眠っているということです。だから、伐られないまま、残ったのです」
「昔を辿れば、色々とあるのですねえ」
「さあ、行きましょうか」
「はい、休憩したので、体力が戻りました」
「この先に奇襲部隊が所属していた山里があるのです。まあ山賊の砦のようなものでしょ。キャンプ場になってしまいましたが、それもなくなりました」
「はい。しかしそんな話よりも、木陰でも今日は暑いですなあ」
 
   了



2018年5月2日

小説 川崎サイト