小説 川崎サイト

 

予讐復讐


 予習と復習、これは予習して授業などに出るとゆとりが出る。あらかじめ自習しているので、予想された展開になるので、初めて聞く話ではないので、知っていることをまた聞くような感じで、これは授業中が復習のようなもの。だから予習しておれば復習は必要でなかったりする。実際には本番の授業中が復習も兼ねているため。
 ただ授業は教科書通り、これがあるので予習できる。教科書通りではない教え方をする先生は別だが。
 ところが世の中に出ると、そんな教科書はない。だから予習のしようがない。明日何が起こるのは分からない。何を言われ、何を言い渡され、何を命じられ、何を始めるのか、等々。
 当然教えられていないことをやらされるし、聞いていた業務内容とは別のこともやらされる。
 黒田は学校では予習、復習をしていたが、就職してからは予讐、復讐の人となった。
 明日はどんな目に遭わされるのかと考え、それに対する復讐まで考える。予測復讐、予定復讐を予讐と呼んだ。そんな言葉はない。
 最初から嫌な目に遭うことを予想していた。仕事とは嫌な目に遭わされることで、これはまともではなく、偏見だろう。しかし、個人がそう感じたのなら、それが世界となる。現実もそういう風に展開するし、見えてくる。
 嫌な目に遭わないように予習をしていたのだが、その予習が会社では効かない。だから、散々恥をかかされた。これも給料のうちとは思えない。確かに良い事もあるのだが、それよりも嫌な目に遭わないことの方が大事。
 予讐通り、嫌な目に遭わされたとき、これをどう復讐して、仕返しすればいいのかを後で考えるのではなく、既に考えた上で挑んだ。まだ何も起こっていない状態から、復讐予測しているのだ。これで、嫌な目に遭っている最中でも、少しはましになるが、それでも不快さは何ともならない。それで予讐だけでは駄目で、復讐も実行した。
 仕事で頭を使うよりも、その復讐予測や、復讐シナリオを作ることの方にはるかに多くのエネルギーを使った。それを仕事に活かしておればいいのだが、マイナスのエネルギーの方が強いし、感情も伴うので、そちらのスイッチの方が入りやすい。
 数年後には黒田の上司や同僚や出入りの人が次々に変わってしまった。全て復讐されたのだろう。
 世の中には仕事ではなく、こういう予讐、復讐に精を出す人材も混じっている。
 
   了




2018年5月29日

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