小説 川崎サイト

 

極端


 大きなことはしたくないが、小さなこともしたくない。その中間の人々の方が一番多いのではないかと思える。
 大きな望みの人はできるだけ大きなものを望むが、小さなことを望んでいる人は、できるだけ小さくとは思わない。小さいよりは少しだけ大きい方がいい。それは人情だろう。敢えて小さなものを望んでいるのは無理をしないとか、可能性のないことはしないという程度で、小さなものを極端に望んでいるわけではない。
 今は小さく、これからも小さくても、それよりも小さいのは望んでいなかったりする。
 ここに非常に小さな人と大きな人がいる。体格のことではない。
「小さな世界から大きなものを見ているわけですな」
「そういうあなたは大きなものを見ているようで、もの凄く小さなものを見ておられる」
「いや、それは大きなものを見ておりますと、小さなものも見えてしまうだけです」
「それは私も同じです。小さなものを見ていると、大きなものが何となく見えたりします」
 この話だと、小さなものを見るために大きなものを見ていることになり、大きなものを見るために小さなものを見ていることになるが、あくまでも逸話で、しかも作られた話。極端な設定の方が分かりやすいためだろう。マクロとミクロの話ではよく出てくる。
 大人物ほど小人物だったりし、小人物ほど大人物だったりする。
 しかしリアルの世界では、その中間の曖昧でバランスの悪い、捉えにくい状態が実状かもしれない。これも何のための捉え方や評価の仕方なのかによっても違ってくる。
 あるジャンルから見れば凄い人だが、別のジャンルから見ると問題の多い人物で、困った存在だったりする。
 次の会話はこれとはあまり関係しない。
「自分の中に仏がいるのです」
「はいはい」
「適当に聞かないで下さい」
「はいはい」
「私の中に仏がいるのです」
「何という仏様ですかな」
「え」
「御名前や呼び名があるでしょ」
「大日如来、いや観自在菩薩だったか、それは」
「その仏様がどうかされましたか」
「仏様が入ってきたのです」
「何処に」
「体に」
「体の何処に」
「え」
「場所です」
「腹あたりではないかと思われます」
「あ、そう」
「これからは善行を積みます」
「私ら盗人ですぞ」
「そうです」
「仏心ができてしまうと、仕事ができないじゃありませんか」
「私はぬすっとだけじゃなく、いろいろと悪事をやってきたじゃないですか。だからです。仏が入ってきたのは」
「その轍を踏みますかな」
「え」
「よくある話です」
「これからは聖人を目指します」
「ぬすっとをやめるのには反対しませんがね。別に聖人を目指さなくても、普通のカタギになればいいじゃありませんか」
「それじゃ弱いです」
「あ、そう」
「深き反省、内省がそうさせるのです」
「私もそろそろ年なので、盗み働きもきつくなってきたので、今度大働きをしたあと、国へ戻って百姓に戻るよ」
「そうでしょ。あなたもそうなされませ。私に仏が入ってきたので、その影響で、あなたもそんな決心ができたのですから」
「じゃ、最後の大働きの計画を練りましょう」
「はい、そうしましょ、そうしましょ。善は急げだ」
「悪も急げです」
 
   了


2018年6月7日

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