小説 川崎サイト

 

日常が崩れる


 日常は自分とは関係のないことでも崩れる。天地異変がそうだろう。大昔に恨みをのんで亡くなった人の呪いや祟りではない。そういう人が自然現象さえ動かしていたと信じられていた時代もある。これは本当にそう信じていたのかは当時の人から聞いてみないと分からないが、異変が多いと原因を作りたい。原因が分かれば安心する。
 そして天地異変を起こすような祟り神は既にしっかりと祭られている。
 原因が自分にはない災難。偶然の何か。偶然にも必然性のような遠縁があったりし、決して偶然ではないこともあるが、どう見ても遭ってしまう偶然の災難は確かにある。大災害なら多くの人が被るのでもう個人の因果からは出てしまう。
 だからその需要の神もいるのだが、大勢では無理。保険が払えないというわけではないが。
 安全のためのお守り袋などは一人だけ助かるというわけにはいかないが、軽減作用があるとしている。大凶が凶ぐらいですむように。
 まあ、人には寿命があり、いずれはこの世から消えるのだが、災難に遭い、短命で終わってしまうよりは、いいのかもしれない。特に若死にではまだやりたいことも多くあるだろう。
 いいことで日常が崩れるのは好ましい面も多いが、悪いことで日常が狂うと、これは厄介だ。身から出た錆なら納得はいくが、そうでない場合、原因を作りたがる。前世とか先祖とかまで持ち出す。
 つまらないことで日常が崩れた場合、元に戻すのは大変かもしれないが、戻れた場合は、ほっとする。進歩や改善ではなく、以前の状態でも充分なほど。
 
   了


2018年6月22日

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