小説 川崎サイト

 

諸行無常


 気流というのがあるように、気持ちの流れもある。気分の流れだ。気流というのは周囲との関係で風の流れが決まったりする。これは自然現象だが、一定のパターンがあるはず。
 気分も個人単独で発生することもあるが、それは病とかだろう。発生源が体にある。ご気分は如何ですかと聞く場合、体調を聞くことになるが、これは病んでいる場合。また、病んでいないのに、急に気分が悪くなることがある。精神的な気分となると、病気ではなく、発生源も体ではない。
 気分は体で反応することも多い。気流とはその気分の流れのようなものかもしれないが、これは発生源が外にあったりする。時代の流れなどがそうだ。
 流行るというのもそうで、本人と関係のないところで、そういう流れが生まれている。
 そういった社会現象とは別に、極めて個人的な流行り廃りがある。これは一日で終わったり、その後、習慣になるほど定着したりと様々。
 しかし、これは人に言うほどのことではなく、好みが変わったとか、趣味が変わった程度。そこにある流れは、気の流れだろう。気持ちの変化。しかし、それらは単純な移行でも、そこへ至る流れというのがある。もっと遡ったところから続いていた流れの先っぽかもしれない。
 この流れは一日の中でも生まれたりする。今日はどうも流れが悪いとか、いつもの調子のようには行かないとか。しかし夕方になると、いつもの流れに戻っていたりする。そういう日々の流れも、あるところで別の流れになることもある。流れが変わるのだ。具体的にそれが現れるまで気付かないかもしれないが。
 そして、変わったはずの流れが、また元に戻ったりもする。
 流れそのそのものが快いときもある。何でもいいから流れが速くなると、気持ちがいいとか。これは変化が欲しいと思う気分の流れに乗ったのだろうか。
 街でも人の流れがある。それが変わったり、もう流れなくなったりもする。
 それと同じように個人の世界にも、そういった流行り廃りがあり、流れも変わるという話で、これは空気の流れのように、ある意味自然なことだろう。
 一つの流れは、別の流れから押し出されていたり、また流れが止まるのは、別の流れの影響かもしれない。
 結局人も街も気持ちも流れて行く。諸行無常と言うことだろう。
 
   了


2018年6月28日

小説 川崎サイト