小説 川崎サイト

 

薮の中

川崎ゆきお



 猟奇王はその日、仏像を盗もうと、その薮へ来た。
 その薮とは、とある薮で、密度の濃い薮だった。
 その密度は人を通さない障壁となっているが透き間からお堂のような建物が見える。
 そのお堂の中に秘仏でも眠っているのでは…と猟奇王はイメージ付けた。
 そう思ったのは雰囲気でしかない。
 その薮は建物を囲むように茂っている。
 薮は生け垣のような感じではなく、放置された円方古墳のように、びっしりと中まで詰まっている。その真ん中あたりにお堂の屋根瓦が顔を覗かせており、この薮の主であることを教えている。
 お堂であるかぎり、人の物だ。従って出入り口はある。
 猟奇王はその入り口の前に立った。
 薮の囲みはそこだけ途切れ、鉄柵で閉じられている。
 一般の人は参拝出来ない。
 鉄柵の透き間から中を伺うと、お堂とは別の棟が見える。庫裏のようだ。
 庫裏には出入り口があるはずで、そこからお堂へ行けるに違いない。
 その庫裏は道路に面した場所に門柱があり、郵便ポストや新聞受けもある。
 さすがに猟奇王も、昼日なたから門柱を乗り越える気迫はない。これは趣味の問題だろう。
 猟奇王は薮の周囲を何度も往復し、入れそうな透き間を物色した。
 薮の背後には荒れ果てた里山が迫っている。
 背後からつく。
 と、いう手もあるが、薮以上に足場の悪い急斜面で、滑り落ちる労はとりたくない。
 こんな時、手下の忍者がおれば仕事が早いのだが、今日は非番だ。
 薮の中のお堂に秘仏がある…は、猟奇王のイメージでしかない。しかとした情報があるわけではない。猟奇王が思い込んでいる空想世界なのだ。
 根拠の薄いことで、組織を動かすわけにはいかない。説明も面倒だ。
 猟奇王は抜けられそうな隙間を見つけ、薮の中に突入した。
 下草や潅木に足を取られながら樹木の隙間を潜り抜けると、お堂の横に出た。
 小さなお寺のようにも見える。廃寺にしては朽ち方が足りない。
 猟奇王はお堂の正面に出た。賽銭箱はない。
 さらに回り込むと、庫裏か目に入ったので、すぐに戻る。つまり庫裏の窓から見られる可能性があるので隠れたわけだ。
 庫裏の出入り口と縁側が見え、庭がこちらまで伸びている。
 庭はそれなりに手入れされており、色の落ちた菊が咲いている。
 お堂の扉はぴたりと閉まっており、南京錠で施錠されている。
 ガラン
 と、庫裏の引き戸が開き、老人が出て来た。
 猟奇王は逃げ損ねた。
 そのまま動かず、半身を晒す。下手に動くと逆に目立つためだ。
 老人の視野に猟奇王の半身が入っているはずだが、気づいた反応はない。
 気づいているのか、いないのか…判断し難い。
 しかし、猟奇王は気づいていないと判断した。理由はパッチとシャツだ。
 老人はパッチのまま出て来たのだ。庭に出るのに着替える必要はない。だからパッチでもかまわない。しかし、毛糸のセーターの下からジジシャツがはみ出ており、パッチもゴムが緩いのか左側がずれ、胡麻塩の不精髭に耳まで伸びた髪の毛の頂点は荒れ地のように剥げている。
 この時代、怪人二十面相が生きておれば、これはこれで見事な変装振りだろう。
 しかし、庫裏から出て来た老人が猟奇王と同じ怪人であるはずがない。怪人を欺くため探偵明智小五郎の変装と言うほうが的を得ている。
「今、仕舞うところや」
 老人は奥の誰かにそう告げ、猟奇王のいる方向へ歩いて来た。
 流石に真正面だ。猟奇王の存在に気づかぬはずはない。
 だが、そこに黒いスーツに黒マスクの猟奇王の姿など、ないかの如く向かって来た。
 老人に猟奇王は無視される形となる。
 パッチの尻はお堂の短い階段を上がり、南京錠を開けた。
 猟奇王は老人のずれたパッチの歪な尻をもろに見た。二十面相でも明智小五郎でもない。その尻は老人そのもので、しなびた干し柿に似ていた。尻にまで変装を加えるとは思えない。
 老人は無造作に本尊らしき仏像を小脇に抱えている。
「一つ聞きたい」
 堪らず猟奇王が声をかける。
「何でっか」
「わしが見えておるか」
「ああ」
「貴様は何者だ」
「堂守や」
「守っておらぬではないか」
「何を?」
「その御本尊だ」
「これは観音様や」
「ほら、そんな大事なものを盗まれてもよいのか」
「欲しいか?」
「貰えるのか」
「捨てるところや」
「解せぬ」
「もう、堂守は嫌じゃ、この年で」
「夫婦で堂守か」
「婆アも、やめたいと言うとる」
「辛いのか」
「飼い殺しよ」
「ここは寺か」
「堂があるだけや。この観音さんを拝むためのな」
「観音信仰か」
「まあな」
「持ち主は誰だ」
「百人会」
「歌の会か?」
「違う、村の講や」
「ならば、ここは講堂」
「まあな」
「村寺か?」
 猟奇王は適当に言葉を吐く。
「集会所や」
 堂守の老人は扉を開け、柱の裏に手を回した。
 カチッと音がし、蛍光灯がつく。
 堂守はサンダルを脱ぎ、座敷に上がる。
 猟奇王もそれに続いた。
 堂内は二十枚以上の畳が敷かれており、その奥に洋服ダンスのような仏壇がある。
 堂守はその洋服ダンスを開き、観音像を仕舞った。
「たまには掃除せなあきまへんのや」
「その観音像は秘仏か」
「公開してまへん」
「で、ここは村の持ち物にて、村が運営する集会所。そして、秘仏も村の物」
「村やない。百人会や。この本尊はセールスされて買ったもんや」
「謎があるようだな」
「ない」
「聞いてもよいか?」
「もう冬や」
「冬に何か…?」
「この堂は寒い。庫裏に行こ」
「と、いうことか」
 猟奇王は、ずれたパッチの尻を見ながら後に続いた。ずれ方が左右逆になっていた。

 小汚い老婆が焙じ茶をいれた。
 夫婦は似るものなのか。長年連れ添ったこの老夫婦は同じ趣を醸し出している。
「暗いのう」猟奇王は思わず発した。
「暗うもなるがな、堂守では」
 爺さんが応じる。
 婆さんは物静かだが眉間に厳しい皺を立てている。猟奇王も同じ場所に立て皺はあるが、同じ皺でも種類は異なる。老婆の皺は生活臭さが刻まれている。
「ずっとこの地で堂番か」
「牢屋のようなもんや」
「路上で交通整理のガードマンをやるよりはましだろう」
「ここは四六時中やで」
「気も塞ぐか」
「幸いにも…」と、発した後、パッチ老人は言葉を切った。
「続けろ」
「幸いにも、あんたが来てくれた」
「わしは貴様らの代わりはせぬぞ」
「そうやない。盗んで欲しい」
「意味は?」
「首になる」
「ここを追い出されて行く当てはあるのか」
「ない」
「では盗めん」
「ホームレスになる。そのほうがええ」
「その発想が解せぬ」
「人の気持ちなんか、他人様には分かりまっかいな」
「それは道理だが、常識的ではない」
 猟奇王はポケットから煙草を取り出した。
「吸ってもよいか」
「ああ」
 老婆が空き缶を持って来た。発泡酒のアルミ缶だった。
「話を聞こう。その非常識に至る理由の」
「呪われておるんや。ここは」
「少し待て」
 猟奇王はジャンルが違うと感じた。
「オカルトか」
「ここを出たら呪いがなくなる。何処でもええ。ここさえ抜け出せたら」
「簡単なことではないか。出ればよい」
「それが出来まへんのや」
「理解出来ぬ」
「出ようとしても出られへんところが呪いの恐ろしいところや」
「出られぬ呪いをかけられておるのじゃな」
「うう、そんな感じや。引っ張られますのや」
「それは、物理的にか」
「よう分からん」
「要するに出ようとしても、出かかると気が失せるということだな」
「そうそう、どうでもようなってしまいよるんや」
 猟奇王は左を見た。
 ガラス障子がある。
 その向こうに庭がある。
 猟奇王はしばらく、その方角を見続けた。
「次は椿が咲きまっせ」
 老婆が口を開いた。
 猟奇王が庭の草花を見ていると思ったのだ。
「平和ではないか」
 老夫婦は顔を見合わせた。
 夫婦だけにしか分からない表情だった。
 特に意味はなく、顔を見ただけのことかもしれない。
「望んでもこの環境は入手できぬぞ。よい住処ではないか」

 猟奇王は本尊を受け取らないで老夫婦の住処から立ち去った。

 菊の季節が終わる頃、猟奇王は再びその薮を訪ねた。
 冬枯れで薮の濃さが薄まっている。
 薮の透き間から潜入すると、お堂は変わらぬ姿で建っていた。
 椿の花びらがポトリと落ちた。
 ズンと地面に落下する音もした。
 猟奇王は庫裏の戸を開け、中に入った。
 廊下を通り抜け、ガラス障子の前に立つ。老夫婦の居間だ。
 猟奇王はガラス障子を開けるのをやめた。
 中に老夫婦がいた。

 二人はホームゴタツに入り、テレビを見ていた。

   了

2004年1月23日

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