小説 川崎サイト

 

夏慰寄年


「夏休みの宿題をやろうとしておるのだが、何かないかね」
「宿題なので、決まったものがあるでしょ」
「それが決まっておらん」
「宿題でしょ」
「そうだ。宿したもの」
「宿命のようなものでしょ」
「そんな大袈裟なものじゃない。学校から出ている夏休みの宿題のようなもの。しなくても死にはせんし、生きてはいける。そのレベルの宿題をやりたいのだが、何かないかね」
「さあ」
「本当にやらなければいけない宿題は結構溜まっているのだがね。やる気がしないし、もはや手遅れかもしれん。今からでも間に合うにしても、そんなことで手間を掛けたくない。もっと単純で分かりやすいことがしたい」
「うちの子が学校からもらってきた夏休みの友をやりますか」
「夏休みの友。おお、それは懐かしいねえ。課題が書かれた宿題帳のようなものだろ」
「そうです。朝顔の観察日記とか」
「それよりも、友というのがいい。宿題を友として夏を過ごす。これだね」
「じゃ、やりますか。朝顔の観察日記」
「それはしないが、友がいい」
「人間の友達じゃありませんよ」
「分かっておる。主婦の友のようなものだろ」
「そうです」
「そういうネタで何かないかね」
「夏、何を友にして過ごすかですね」
「ああ。友達はいないがね。それに代わる友」
「考えておきましょう」
「それが君に与えた宿題だ。よろしくね」
「すぐには思い付きませんよ」
「だから宿題だ」
「あなたもなされては」
「何を」
「だから、何が夏の友にふさわしいかを。御自身のことでしょ」
「いや、一方的に与えられたい」
「じゃ、僕は学校の先生のような」
「何でもいい。与えてくれ。夏休みの宿題を」
「分かりました」
 しばらくして、漢文の本を持ってきた。
「これか」
「はい」
「漢文なんて学校で囓っただけで、その後興味はないよ」
「日本語を漢文に直すのはきついですが、漢詩なら書けますよ」
「漢詩。それは少しレベルが高い」
「いや、単漢字を四つ並べて一句。それを五つか七つ並べればいいのです。
「意味は」
「意味はなくてもいいのです。思い付いた単漢字を綴ればいいのです。順番も適当でいいかと」
「それならできる」
 それからしばらくして。
「できましたか」
「ああ」
「何かお経のようですねえ」
「意味は分からんが、字面の並びで何となく何を言いたいのかが分かるはず」
「極めましたね。コツを」
「まあね」
「静心空海ですか」
「何か、はと、まめ、とかで始める小学校の国語の教科書のようだがね」
「空海についての詩ではないわけですね」
「偶然、その並びになっただけ。これは楽だね。俳句や短歌より簡単だし」
「これはボールペンで書かれたのですね」
「そうだ」
「今度は半紙を二つ折りにして筆で書いて下さい」
「習字だね」
「筆ペンで結構です」
「ほう、いいねえ」
「それを綴じて完成です」
「それが提出用の夏休みの宿題か」
「そうです」
「やってみよう」
 夏の友が完成した。
 何が書かれているのかは本人にも分からないような漢詩だった。しかし、いかようにも読み解きできるため、話題になった。
 それほど売れたわけではないが、電書としてそこそこダウンのロードされたようだ。
 予言集ではないかと、誤解する人も出た。
 年寄りのほんの夏の日の手慰み。
 夏慰寄年。
 
   了

 



2018年7月24日

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