小説 川崎サイト

 

天への階段


「それは暑い暑い夏の日じゃった。こんな日は大人しく家にいるべきなのじゃが、魔が差したのか、陽が差したのかは定かでないが、急に思い立ち、家を出た」
「家で大人しくしていればいいのに」
「うん、そうなんじゃがな。それはよーく分かっておるのじゃが、そういう気になった。だから魔が差したのじゃ」
「それは本来やるはずのない悪いことをふとやってしまうようなことでしょ。暑い中、外に出るのは悪いことだとは言えませんが」
「だから言ったじゃろ。魔が差したのか、陽が差したのかと」
「強い陽射しは既に差していたのでしょ」
「うん、まあ、そうなんじゃがな」
「何をしに外に出たのですか。用事ですか」
「いいや、暑い暑い夏の空が見とうなったわけじゃないが、折角のお日様、この盛りが終わらんうちに、夏を満喫したかったのかもしれん」
「散歩のようなものですね」
「うん、まあ、そうじゃな」
「それでどうなりました」
「この辺りには丘が多い。平地にいきなり丘が壁のようにある場所でな。場所は分かっておるので、できるだけ坂道を避けるため、丘の縁を歩いておった。左は山のような繁み、右は畑。その先は家や工場がある。見慣れた風景じゃ。今ならイチジクが実っておる。あの木はくねくねしておって気持ちが悪いぞ。古い木じゃが、高くならんよう横に拡がるように切っておる。だから瘤だらけで、しかもくねくねしたのが何本もずらりと並んでおる。まあ、その話ではないがな」
「何処へ行かれたのですか」
「陽は右側から差しておった。左は木が茂っておるのじゃが、木陰にはならん。分かっておることじゃが、これが厳しい。しかし、悪い気はせん。元々日向臭いのが好きなのでな」
「で、何処へ」
「うん、その先を進むと、蝉の鳴き声がうるさい。音で頭がおかしくなりそうなほどじゃった。まあ、暑さでわしの頭もおかしくなりかけておったのかもしれんが、そんなことはよくある。暑い日なら、少しはふらっとするじゃろう」
「それで何処へ」
「うんそれなんじゃがな、左側はずっと丘の繁み。これは断崖のようなところに生えておるんじゃろう。木の高さより、丘が高いので、高い木のように見えるがな」
「そこで何かありましたか」
「よく聞いてくれた。進むと急に蝉が鳴き止み、逆に静かすぎて、耳がおかしくなった。音が切れたと同時に切れ目ができた」
「切れ目」
「繁みに切れ目ができておる」
「上からの道でしょ」
「いや、そんなところに道などない」
「あ、はい」
「よく見ると坂道ではなく全部階段」
「はい」
「石の階段で、上まで真っ直ぐ続いておるではないか。そしてそこは日影。これは入り込むじゃろ」
「そうですねえ。急に階段が現れたのなら、何だろうと思いますけど」
「そそそう。その通り」
「階段を上がりましたか」
「ああ、上がった。丘の高さは階段の長さからして三階か四階ほどじゃろ。三階の高さなら階段で上れるが、四階は少しきついかもしれんが、頑張れば大丈夫。それに日影」
「はい」
「この上は何があるのかと思い、階段の先を見た」
「何がありました」
「空」
「はい」
「下から見上げておるので、空しか見えんのじゃろ。それで、汗をかきかき、息を切らせながら、登りきろうとした」
「何が見えました」
「階段の端は目の高さ、一歩登れば一歩分見晴らせる。そして登りきったのじゃが、何もない」
「え」
「空ばかり」
「でも丘の上でしょ」
「丘は平地になっておったが、草が生えておった。野っ原じゃ。何もない」
「ほう」
「しかし、雲がある。出るとき見た夏の空とは少し違う。色が違うし、雲の形が違う。それをじっと見ておると、とんでもないものが飛んでおる。虫ではないかと思っていたのじゃが、そうではない。帯か紐かは川分からん。着物の一部かもしれん。そういうのが飛んでおる。しかも優雅にな。これは女性じゃ」
「天使」
「いや、天女じゃ。笛を吹いておるのもいる」
「ほう、そこまでいきましたか」
「ああ、いったとも、ここは御浄土じゃ」
「蓮の花は」
「水がないので、蓮は無理じゃろう」
「あ、はい」
「終わり」
「え、それで終わりですか」
「あつけにやられてそんなものが見えたんじゃ」
「でも天から続く階段は」
「神社があったのを忘れておった。下から階段が続いておったんじゃ」
「忘れないで下さいね」
「うん」
 
   了



2018年8月18日

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