小説 川崎サイト

 

地蔵送り


 地蔵盆がある頃、この地方では地蔵送りがある。
「まだ暑いですなあ」
「はい、残暑だと思い油断していました」
「そろそろ向こうから来る頃ですね」
 二人は村道で何かを待っている。
「来ますかねえ」
「暑いので、取りやめたわけじゃないでしょ」
「そうですねえ」
「あ、来ました来ました」
 二人はカメラを構えた。
「それ、白玉の高い望遠でしょ。レンズの明るい」
「それはいいけど、見た目ほどの望遠じゃない」
 左右は田んぼ、遠くに山がある。
 二人が見に来たのは地蔵送りの行事で、隣村から地蔵を輿のようなものに乗せて運んでいる。地蔵が先頭なので、向こうから地蔵がゆっくりと来るように見える。輿というより、荷車を逆向きにしたようなもので、リヤカーなら引っ張るのだが、押している。
 暑いのか、誰も見ていない。
 この山車か荷車か分からないが、船の形をしたタイプもある。隣村から送られてくる地蔵で、受け取った村は翌年、別の村へと回す。だから地蔵は毎年いる村が違う。それが順繰りに回って来る。
 地蔵はそれほど大きくはないが、この一帯にあるどの地蔵よりも大きい。そう見えるのは座像のためだろう。これで全身となると、運ぶのが大変だ。座ってもらわないと、運びにくい。
 船のような荷車の高さと座像の高さは計算されたもので、座っている地蔵が立ったときの高さになる。そして地蔵の顔は人間よりも数割大きい。
 メインは村の入り口で受け取ることなのだが、二人はそのシーンよりも、途中が好きなようで、地蔵が近付いて来るところが写真になるらしい。
 ただ、平らな道はいいが、何カ所か上り坂や下り坂がある。このときは流石に後ろから押すだけでは無理で、前に人が出て引っ張る。そのとき、安全のため、地蔵を寝かす。以前落ちて欠けたことがあるためだ。ただの石地蔵だが、人間よりも大きな上半身なので、岩を運ぶようなもの。
 以前は人も多かったので、地蔵の前に幟持ちが二人立ち。その前をさらに紋付き袴の世話人が歩いていたのだが、今はその規模ではない。
 鏡胴が純白の高い望遠レンズを付けて覗いていた男が、あれっと声を出す。
「どうかしましたか」
「人だよ、あれ」
「え」
 もう一人は気付かなかったようだ。
 石の地蔵ではなく、人間が座っている。何か罰当たりな気がする。
 つまり人が地蔵に扮しているのだ。
 そして二人の前を通過するとき、地蔵が手を振った。
 二人は知らなかったのだが、別の村から別の村へと地蔵送りをしているとき、壊したようだ。それで、地蔵がなくなったので、今年は人が代役を務めている。
「これは別の祭りだね」
「しかし、あの地蔵役、あれじゃ暑いと思うよ」
「そうだね。地蔵の頭を被っているし、体も何か塗っているしね」
 どういう形であれ、行事が続いているだけでもいいのだろう。
 しかし、バチが当たりそうな地蔵送りだった。
 
   了




2018年8月31日

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