小説 川崎サイト

 

オシロ様


「お待ちしています。どうぞ」
 秘書課の部屋の奥に社長室がある。これは別室と言われ、正式な社長室ではない。この会社、会長はいない。
 秘書室と社長室までの通路というのはない。オフィス内をじぐざぐに横切るようにして突き当たりの壁まで行く。そこにドアがある。決して社長室のドアではなく、掃除用具でも入れている物置のような狭いドア。
 平の三村は社長室などに入ったことがない。ましてや別室など、その存在さえ知らなかった。
「君かね。三村君といったかね」
「はい」
 別室は簡素なものだが、仕切りがあり、ベッドがある。
「屋上で見たのかね」
「はい」
 屋上に何か祭ってある小さな祠がある。鳥居からしてお稲荷さんだ。別に珍しくも何ともない。だからそれを見たのではない。
「本当にキツネだったのか」
「はい」
 稲荷信仰というのはキツネを拝む信仰ではない。しかし、この祠はキツネが御神体。
「猫じゃないのかね」
「キツネです」
「じゃ、イタチか」
「いえ、白狐です」
「それは珍しい。キツネを見ただけでも珍しいのに、白いとは」
「はい」
「本当にキツネだったのか。どうしてそう言える」
「尾が太かったです」
「猫や犬にも尾の太いのがいるだろう」
「じゃ、猫かもしれません」
「そうだろ。犬は屋上まで上がれん。あの硬い体では」
「貂かもしれません」
「テンもイタチも同じようなもの。似ておる」
「じゃ、やはり猫でしょうか」
「ペットが逃げ出したのかもしれん。あの屋上、静かだし、灌木もあるし、花壇もある」
「じゃ、そうかもしれません」
「しかし、白いというのが気になる。ところで君は屋上で何をしておった」
「煙草を吸いに上がりました」
「オシロ様参りじゃないのか」
「祠があることは知ってましたが、お稲荷さんでしょ」
「オシロ様じゃ」
「はあ」
「わしら田代家の先祖神、氏神様だ」
「キツネなんですね」
「白狐」
「はい」
「それを見たというので、驚いた」
「すぐに消えました」
「ぱっとかね」
「消えましたが、また出るかもしれません」
「いつのことだ」
「先週です」
「報告が遅すぎる」
「いえ、係長にそのことをすぐに言いましたが」
「まあいい」
「はい」
「君はこれから祭司じゃ」
「え」
「オシロ様担当とする」
「はあ」
「何かの縁だ。そうしてくれたまえ」
 社長はすぐに秘書を呼び、辞令を作らせた。
 三村は総務部祭事課祭司係長。つまり平社員から一瞬にして係長になった。
 世の中には色々あるが、これは有り得にくい部類だろう。
 
   了


 


2018年9月13日

小説 川崎サイト