小説 川崎サイト

 

辻説法


 観光の寺だが、その裏側はひっそりとしている。裏に回り込んでも境内の裏は山で、道路もなく、山道が続いているだけ。つまり一番奥まった山裾にあるので、山に囲まれているようなもの。
 ただ境内を囲んでいる土塀に沿って横から奥へと続いている路はある。結局行き止まりだが、小屋があったり祠があったりする。奥まってはいるが背から村に回り込むことができるので、抜け道といえば抜け道。しかし外には出られない。村に戻り、そして街に戻るにしてはふさわしくない。街から真っ直ぐ延びている参道の方が店屋も多く、観光に来た人向けの演出がなされている。だから参道は余所者が大いに通ってくれる方が有り難い。でないと商売も成り立たない。
 ただ変人が中にはおり、真正面から普通に参拝したりすることだけでは飽き足らず、境内の隅々まで見て回る。
 さらに進むと、境内の外側を見て回る。これは逍遙好きな変人にとっては美味しい場所。
 この寺は山門からか、あるいは山門横からしか出入り口はない。通用口は車が入れる。だから境内から外に出るには、山門周辺しかないようなもの、通用口はすぐ脇にあるので、一箇所しか出入り口がない。当然一般の人は入り込めない寺の奥から出入りできる勝手口のようなものがあるが、ほとんど使われていない。土塀の向こうは山のためだ。芝刈りに行くような時代ではないためだろう。
 さて、その土塀沿いの小径を行く変人がいる。皆と同じような行動をとるのが嫌いなのか、または自分だけが特別な体験をしたいのか、それは分からない。
 右に土塀、真っ直ぐ行くと土塀が途切れる中間あたりに左へ入る脇道があり、その辻に祠がある。犬小屋のような粗末なもので、その近くはゴミ捨て場ではないものの、廃材が積まれていたり、割れた瓦などが黒い石のように散らばっている。左側は雑木林だが、人の家の庭かもしれない。村の一番奥の民家だろうか、屋根が見えている。村の奥なのであまり人が来ないところのためか、少し荒れた風景。今まで寺院の行儀の良い風景を見ていた人にとり、生々しい現実に戻った感じだが、活気のない枯れた風景。
 さて、祠のある場所に人が立っている。村の人かもしれないが、着物姿で、頭は剃っているのではなく、最初から毛がないようだ。つまり老人。ただよく見ると耳のところに毛があり、しかも黒い。だから、これは僧侶ではないが、入道を連想する。
 その入道が思いのほか大きな目でそぞろ歩きの観光客を見る。眼でものを言う。もう眼で語り始めている。
 観光客は無視したいが、そうはいかない。眼に捕まってしまった。
「彷徨ううちに人生は終わる」
 来たなと、変人の観光客は本能を使う前に、充分な情報を一目見たとき得ているので、怪しい人物だとすぐに分かった。
「波風も、そのうち鎮まる平野かな」
 ベタベタな歌。これで相手の器量が分かる。
「教えてあげようか、人生の極意を。そこな寺の仏では役立たず。だから抜け出し、この辺りを彷徨っていたのであろう」
 一人辻説法。
 一対一では語りがいがないはず。より多くの人に聞かせないと、人の多い辻に立つ意味がない。しかし、そこは都大路の辻ではなく、誰も来ないような狭い道。
「人生はすぐに暮れゆく。その前に何らかのものを掴みたいとは思わぬか」
 入道は変人に近付き、手をすっと出し、眼で催促する。つまり握手の催促。そうではなく、手相でも見るのかと思いながら、変人はつられて右手を出した。
 入道の手は分厚く温かいが、何か性的なものを感じたので、変人はすぐに手を引っ込めた。
「悪しきに走らず。善にも走らず。己がままを歩く」
 入道の手が変人の後ろ側に回った。
 変人は、分かった分かったというように何度も頷きながら、後ろ向きに小走しった。凄い特技だ。先祖は海老かもしれない。
 入道の眼に捕まっていた体も、少し離れると効かないようで、そのまま後ろ足で遠ざかった。
 辻説法ではなく、説法泥棒という珍しいものを見せてもらった。
 入道の手が後ろに回ったのは、後ろポケットに財布があるため。
 ただ、この変人、後ろポケットのボタンを留めていたので難なきを得た。
 真正面から参拝しただけでは体験できないアトラクションだった。
 
   了




2018年10月19日

小説 川崎サイト