小説 川崎サイト

 

軽海樹海


「軽海峰はこの先ですか。真っ直ぐでいいですか」
 山道の分かれ道。どちらが本道なのかは幅で分かるのだが、武田はそこで休憩している人に聞いてみた。これは挨拶のようなものだろう。
「そうです。真っ直ぐです。右はジャングルですから、入らない方がいいですよ」
「ジャングル」
「密林です」
「樹海のような」
「それほど広くはない斜面や沢ですがね、迷いますから行かない方がいい」
 武田は気付かなかったのだが、軽海峰の海とは樹海のことかもしれない。軽いというのはライト。ちょっとした樹海。おそらく軽海峰の麓一帯を指すのだろう。
「行くなと言われると行きたくなります」
「止めはしませんがね」
「はい」
 武田は樹海という言葉が気に入った。しかしそのような濃い繁みは見えない。それにこの辺りの山の木は植林が多い。里から離れているが、ほとんどが植えられたもの。だから樹海がこんなところにあるとは思えない。森が海のように拡がっていないと樹海ではない。
 杉や檜が、この辺りには多い。樹海となると、自然林。そのためいろいろな樹木が生い茂っているはず。それなら遠くからでも分かるはず。まだ紅葉の季節には早いが、いろいろな樹木が生えているのなら、いろいろな色目になり、それで分かるというもの。
 先ほどのハイカーは休憩を終えたのか、本道の軽海峰の方へ向かった。
 武田も少し休憩するため、先ほどの人が座っていた岩に尻を置いた。多くの人が座ったのか、角に丸みがある。
 そして枝道の先をじっと見ているのだが、途中から下り坂になるようだ。沢へと続くのだろう。ここからはその沢は見えない。だから樹海も見えない。
 飴をなめながら一服していると、下からハイカーが来た。武田と同じような年代。しかし年下かもしれない。
「軽海峰はこっちですね」
「そうです。真っ直ぐです。この枝道は駄目ですよ。ジャングルに出ます」
「ジャングル」
「樹海です」
「あ、そう」
「入ると迷って出てこられないらしいです」
「ほほう」
「止めはしませんがね」
「はい、有り難うございます」
「行くなと言われると行きたくなるでしょ」
「はいはい」
 武田は腰を上げ、本道の軽海峰へ向かって歩きだした。
 軽海峰の頂上に立つと、見晴らしがいい。麓を見てもそんな樹海などない。
 麓から軽海峰中腹まで樹海が拡がっているらしいが、そんなものはない。
 ないのにある。それを軽海樹海と呼ばれるようになったが、あそこの枝道から入っても、当然それらしきものはないはず。
 だが、樹海が拡がり、出てこれなくなったという人が何人かいる。
 都市伝説ではないが、山岳伝説は昔から普通にあるようだ。
 
   了




2018年10月25日

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