小説 川崎サイト

 

ある調子


「誰がこんなことをしたのかね」
「あ、僕です」
「余計なことを」
「あ、はい」
「元に戻しなさい」
「分かりました」
 田村は調子が良いときは注意せよという教訓を忘れていた。これは自分で発見した自己管理方法。今日は調子が良すぎて、積極的な仕事をしてしまったようだ。少し方法を変え、よりよくするためにやったことなのだが、裏目に出た。おかげで元に戻すのに時間がかかり、帰りが遅くなった。
 地下鉄を降り、ターミナル駅前の賑やかな場所にいつものようで出たのだが、調子を崩してしまったためもあるし、また遅くなっていたので、そのまま乗り換えて、帰ることにした。
 一人暮らしなので、何処かで夕食を取る必要がある。ほとんどが外食だがコンビニ弁当で済ませることも結構ある。最近はスパゲティーシリーズと称してコンビニにあるう色々なスパに挑戦していた。食べたいわけではないが、何が食べたいのか分からないときは、このシリーズ物を続けることにしている。三タイプほど食べたので、次は四タイプ目。ラーメンとどう違うのか分からないようなスープスパ。それが頭に浮かんだのだが、売り切れているかもしれない。しかし、弁当類ほど売り切れはない。また是が非でも食べたいわけではないので、そのときはそのとき。
 そう思いながら乗り換え駅の改札に入りかけたとき、改札から出て来る岩田と目が合った。古い友達だ。同じ私鉄沿線に住んでいる。一駅違うだけ。仕事先をよく変える。今から仕事に行くのだろうか。もう暗くなっている。
 ターミナル駅は郊外へ戻る客が圧倒的に多い。そこで、ちょっと好奇心を起こしてしまった。
 夜の仕事なのかもしれない。そういった水商売の女性を、この時間よく見かける。
 しかし岩田はそんな関係ではないだろう。バイトか何かに行くところかもしれない。好奇心を起こしたのは何処で働いているかだ。
 目が合ったはずなのに、岩田はそのまま通り過ぎた。
 確かに岩田だ。見間違えるはずがない。
 田村は尾行した。やはり調子が良いのだろう。そういった調子の良いときは調子に乗る。好奇心も湧く。先ほどは乗りすぎて余計な仕事をして、失敗したことをもう忘れている。自分で拵えた教訓などそんなものだ。
 夕方は過ぎてもラッシュ時なので、ターミナル付近の通路は人が多い。かなり距離を詰めないと岩田を見失う。
 地下通路から横に入った。上は映画館などが並んだ建物がある。繁華街へと続く近道なので、そこで曲がる人が多い。
 エスカレータに乗り、地上の賑やかな場所に出るが、このあたりは田村は庭のようなもの、仕事後、よくウロウロしている。
 やがて岩田はレジャービルの横に入り込み、ビルとビルの隙間のような道を進んでいる。しばらく行くと、飲み屋街の裏側に出る。表通りではなく、裏通りの飲み屋街。風俗店などが点在している。そこをさらに抜け、枝道に入る。流石に田村もこの辺りまで入り込んだことはない。だが、場所は分かるし、位置も分かる。高速道路の下を抜けた辺りで、もうターミナル付近とは別の界隈。
 そして岩田は雑居ビルの狭い階段を上がっていく。
 近付きすぎるとまずいが、上がったあと、何処へ入ったのかが分からなくなる。それにもう通行人は少ないので、目立つ。
 田村は二階に上がると、廊下になっており、左右にスナックやバーなどがずらりと並んでいる。
 これでは何処に入ったのかは分からない。
 しかし、看板で分かった。「乱」という看板。バーのようだ。他に「ナオミ」とか「再会」とかがあるが、岩田なら「乱」だろうと直感で分かった。
 そして乱のドアを開けたが客がひと組カウンターの端にいるだけ。岩田はいない。
 そうか、着いたばかりなので、着替えているのかと田村は考え、適当なものを注文して、しばらく待った。
 しかし、岩田は出てこない。
「一人でやってるのですか」
「え、ああ、この店ですか。はい、そうですよ」
 外れたようだ。
 あれは岩田ではなかったのかもしれない。目を合わせたのだから、岩田なら挨拶ぐらいするはず。
 しかし、岩田だとしても、この二階に上がったとき、見失ったので、「乱」ではなかったのかもしれない。それで他の店を全部調べるわけにもいかないので、そこで諦めた。
 夜の仕事ではなく、夜遊びに来たのかもしれない。そう考える方が自然だ。
 やはり調子の良いときは余計なことをしてしまうものだ。
 
   了

 


 
 


2018年11月10日

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