小説 川崎サイト

 

第一印象


 第一印象で決めるか、論理的に詰めて決めるのかで、高田は迷っていた。そのものの選択で迷っていたのではなく、選択の仕方で迷っていた。これは選択基準を何処に置くかの話。人それぞれ流儀があるが、そんな大層なものではなく、流派をなすほどのものではない。
 高田は第一印象で選ぶ方だが、それだけでは危ないので、論理的なフォローもする。そのとき、第一印象でよかったものが、意外と駄目だということが分かったりする。第一印象、見かけだけの判断の危険さを、そこで分かるのだが、これはまだ選択前。実際に選んだ後のことではない。つまり、まだ現実化していない。だから空想の世界だろう。
 しかし、調べ上げたことはほぼ現実を示している。データ的にそれを示しているため。だが高田にとっての現実はまだ。
 そして調べていくうちにデータ的にいいのがある。第一印象では見えなかったのだが、ここでは見えている。これは大きな候補となる。むしろ、これしかないというほどのデータを示している。
 では、第一印象とは何だったのか。それは高田の知る範囲でのデータだろう。情報だ。しかし知っているつもりでも、よく調べると、印象とは違いがあり、それで第一印象の良さが消え。ターゲットから外される。
 しかし、第一印象はデータだけのことだろうか。調べれば調べるほどデータは増え、候補も増える。しかし、それだけのことだろうか。データ化されていないものが当然印象としてあるし、またより高田の好みと合致しているはず。第一印象がいいのはその中身よりも相性がいいのだろう。
 印象だけでものを言う。これは勘だけで言っているようなもの。感性という柔らかいところでものを言っている。
 また論理的な詰めといっても、その論理は高田の論理で、これは癖があり、客観性が危ない。論理は組み立てなければいけない。その方法に癖や好みなどが出る。好きなパターンと嫌いなパターンがあるように、論理にも情緒的なものが入り込んでいる。なぜなら感性を使わないと論理も組み立てられないため。要するに気持ちがそこで動いている。そこがAIとの違い。人間臭いノイズ臭いものが蠢いているのだ。これは生ものの生命が高田の中にも入っているため。それがなければ、肉体がないことになり、高田も存在しないが。
 また人には運不運があり、偶然の巡り合わせとか、妙な因果、因果のない因果もある。当然流れというのもあり、その流れは経験ともなり、過去からの押し出しもある。
 あれを踏んだからこれが踏めるとか、あれを踏まなかったので、踏めないものができたりとか。
 第一印象というのはそういうものから来ているように思われる。その場の気持ちや感性だけではなく色々なものが綜合的に背景にあり、そこから押し出されのが第一印象かもしれない。
 高田は最初に思い付いたもの、最初に感じたもの、それをそのまま実行すれば間違っていたとしても問題はないように思う。思ったのだから仕方がない。論理的説明を問う必要はない。だからただの勘違いで済むので、シンプル。
 それで第一印象の勘のようなもの、雰囲気的なもので決めればよいものを、ついつい情報やデータに当たってしまう。すると、第一印象が崩れる。これは自爆のようなもので、自分で壊しているようなもの。
 印象とか、感じ。また、気持ち。そういったものは意外と奥深くて綜合的なところから来ている。
 そして高田の得た結論は第一印象に従うこと、最初の印象で決めるということだが、この決め方そのものも印象だったりする。
 
   了
 




2018年11月24日

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