小説 川崎サイト

 

バスを待つ


「慣れというのは恐ろしいものですなあ」
「何かありましたか」
「ずっと使い続けていたノートパソコンがありましてね。もう遅いし、重いしで、買い換えたのですよ」
「つまり使い慣れたものを手放して、新しいのに変えたが慣れないので使いにくいという話ですね。はい分かりました。それだけのことです」
「そう言ってしまうと身も蓋もない。話がそこで終わります」
「でも、それ以上の展開はないのでしょ」
「それがあるのです」
「まあ、それはどうでもいいことでしょ」
「そういわず、聞いてください。そうでないと会話になりませんから」
「会話ねえ。別にしなくてもいいでしょ」
「こんなところで、待ち続けていると、退屈です。お相手お願いします」
「しかし、来ませんねえ、バス」
「ここのバス、当てになりません。時刻通り来たためしがない。だから結構待ち時間ができます」
「あ、そう」
「慣れというのは恐ろしいものです」
「時刻通り来ないことに慣れてしまったわけですか」
「いや、パソコンの話です」
「ああ、そっちですか」
「キーボードが手に馴染まないのです。古いのは十インチでしてね。新しいのは十三インチ。キーボードの幅が広いのですよ。それで手に合わない」
「バスが来ましたよ」
「あれはトラックです。バスは緑色」
「あっそう」
「慣れというのは恐ろしいものです」
「またパソコンの話に戻りますか」
「それで古いパソコンに戻したのですが、死んでいるのです。故障などしない元気なノートパソコンなのですがね、急に動かなくなりました。コンセントは差していますよ。それにバッテリーも残っているはずです。しかし電源を入れてもウンともスンとも言わない」
「緑色が来ましたよ」
「似てますがねえ。違うのです。あれは観光バスでしょ。ちょっと大きい」
「よく見分けられますねえ」
「慣れというのは恐ろしいものですよ」
「またパソコンの話ですか」
「今のはバスの話です」
「あっそう」
「この前まで動いていたのに死んでいます」
「パソコンの話ですね」
「そうです。不思議じゃありませんか」
「偶然そのタイミングだったのでしょう」
「捨てられたと思い、悲しんで自害したのかもしれません」
「今度はバスでしょ。緑色です」
「違います形が少しね」
「どこがどのように違うのです」
「屋根のエアコンです。ここのバスにはそれはない」
「でも緑色が二台も続くなんて」
「列なっているのでしょうか。きっとニ号車です」
「じゃ、まだ続くかもしれませんねえ」
「それは何とも言えませんが」
「しかし遅れすぎですよ」
「事故でも起こしたのかも」
「それじゃいくら待っても当分来ない」
「その可能性もあります。こんなに待つのは私も初めてだ」
「駅まで遠いですか」
「歩けば四十五分ほど」
「タクシーの姿も見えないし、歩くしかなさそうですなあ」
「私は待ちます」
「いや、ここのバスはすでに死んでいる」
「そうかもしれません。こんなに遅れるはずがないので」
「じゃ、一緒に歩きましょう。話し相手なら、いくらでもしますよ」
「そりゃ有り難い」
「しかし」
「え」
「あれは、バスじゃないのですか。緑色だし、屋根にクーラーもない」
「おお、そうじゃ」
「よかったですね。歩かなくて」
「はいはい」
 
   了



2018年12月4日

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