小説 川崎サイト

 

ナスカへ


「ナスカの地上絵はご存じか」
「はい、有名ですね。上空からでしか見えない絵が書かれています。誰が何のために、って話題になりました」
「その話題になるもっともっと前に私の父がナスカを訪ねたことがある」
「まだ国内では知られていない時期でしょ」
「いや、昔から知っている人がいる」
「そうなんですか」
「地上絵のあるところから少し離れた村がある。案内人がいないと、何処に絵があるのか分からないからね。それで街の案内人から村の案内人を紹介してもらった。といっても子供だ。当然、そんな観光案内なんていない時代だがね」
「はい」
「道々、少年に話しかけた」
「はい」
「しかし、おかしいじゃないか。上空からでしか見えないはずなのに、絵のある場所を知っている。何処からこの少年は見ていたのだろう。またその村の人間も知っているんだ。そんな絵があることを」
「あのう」
「何かね」
「現地の言葉が分かるのですね。会話できたのですから」
「先に言うべきだったが、日本語だ」
「はあ」
「英語は無理だがスペイン語は通じるが私の発音が悪いのか、通じない。それでたまに出る日本語、それが分かるらしい」
「日本人がよく来ていたとか」
「ところが、今の日本語ではない。かなり古い」
「はあ」
「村人は全員日本語が話せるんだ。普段は使わないらしいが。大和言葉というか、あれはなんだろう。全部平仮名で喋っているような」
「あのう」
「何かね」
「ペルーの地上絵より、そちらの方が言語学的に凄い話じゃないですか」
「いや、父は地上絵のことで夢中で、日本語が通じるのなら、こりゃ楽だと思い、いろいろと話を聞きながら地上絵のあるところまで案内してもらったらしい」
「何故、日本語が話せるのかを訊くべきですよ」
「そうなんだ。だから父もそれをそれを悔いていたらしい」
「それで、地上絵はどうでした」
「テレビや本の内容と同じ」
「どうやって書いたのかも少年は知らないのですね」
「村人も知らんらしい」
「現地の人と地上絵との関係は」
「知らないとか」
「でも上からでしか見ることができない絵なのでしょ」
「まあ、櫓でも組めば見えるがね。書くときも単純な幾何模様だろ。人文字のように人を並ばせて地面を蹴ればいいんだ。広い面だと櫓を移動させればいい」
「凧に乗って、見るとかもできますねえ」
「私の解釈はそうじゃなく、やはりもっと上空から」
「じゃ、あの説になりますねえ」
「空を飛ぶ船ね」
「それと、古い日本語が話せる村と関係するはずでしょ」
「変わった顔ではなく、見慣れた顔。それについては意識しないもの」
「え、何の話ですか」
「その少年や村人の顔に馴染みがある。普通の顔。日本人と変わらん。だから逆に意識の中に入ってこない」
「そんな」
「違ったものを見たとき、意識的になる。そういうことじゃ」
「しかし、そんなところに日本人村なんてないでしょ」
「あるわけがない」
「それでお父さんの調査はどうなったのです。おそらくそんな時代に行かれたのですから、話題になったでしょ」
「いや、ここから先は駄目」
「何故です」
「嘘になるから」
「全部嘘なんじゃないですか」
「地上絵の謎を知っておる」
「分かったのですか。凄い成果じゃないですか」
「だから言えない」
「もしかして、何も発見できなかったのでは」
「当時としては地上絵を発見しただけでも大したものだった。あることは分かっていたんだが」
「どうして分かっていたのです」
「情報元は言えない」
「しかし、テレビとか本では日本語が話せる村なんて出てきませんよ」
「父が行ったあと、しばらくして姿を消したようじゃ。違う人達と入れ替わった」
「日本の古い時代とナスカとが繋がっているのですね」
「そこまでは言える」
「しかし、極めつけの眉唾物ですねえ」
「これだけは言っておく」
「何でしょう」
「世の中を根底から覆してしまう話がある」
「先生はそれを知っているのですね」
「他にもおるらしい。父も彼らから聞いてナスカへ飛んだのだ」
「ここまで来て、明かさないのなら、最初から話さなければいいのですよ」
「ああ、つい我慢できなくなってね」
「聞きたいです。そうでないと、ストレスです。それに気になって仕方がありません」
「じゃ、話すか」
「そうでしょ。最初からその気だったのでしょ」
「うむ」
「で、いったいどういうことだったのです」
「古代に宇宙人が……」
「あ、もう昼休みが残り僅か。食べに行ってきます」
「あ、そう」
 
   了





2018年12月21日

小説 川崎サイト