小説 川崎サイト

 

願骨堂


 里山散策はいいのだが、普通の里山をウロウロしていると、それは不審者、それ以前に余所者としてみられる。里と言えるほどのものなら、それなりに古い村。村は村人だけのためにある。
 樋口は里山にある喫茶店に入っている。どうも女性向きのようで、紅茶専門店のようだ。
 冬枯れで紅葉も終わった頃。見所は少ないが、散策する人が多い。このタイプの里山は観光地に多い。そのため余所者は歓迎されるが、それは店屋だけ。
 外は寒く、木枯らしでも吹きそうだが既には葉は落ちているので、もう木枯らしが吹いても木枯らしとは言えないだろう。その木枯らし一号がそろそろ吹きそうだ。それと対を成す風が春一番。どちらも空気が入れ替わる。季節の風がぶつかり合う。海流がぶつかり合い渦ができるように。
 外は寒いが中は暖かい。そんな喫茶店で座っていると、樋口はもう散策する気がなくなってきた。それよりも眠くなる。店内は暖房で暖かいし、おまけに陽射しが入り込んでいる。暖房がいらないほどだが、それは窓際だけ。
 そこから表道を見ると、歩いている人が結構いる。いずれも地元の人ではない。観光客だろう。近くに寺社が複数ある。その通り道になっているのだろう。
 樋口も観光客だが、実際には里山探索が目的。ここなら怪しまれない。
 しかし本当の目的は願骨堂。納骨堂ではない。そういうお堂がある。骨を願うお堂。そう読めるが当て字らしい。当て字の字に意味が生じたのか、一人歩きしている。
 この願骨堂が見付からない。それで、喫茶店で一休みしていたのだが、もう探す気が失せてきた。
 この近くの寺社、建立したのは有名どころ。貴族や武家が多い。しかし願骨堂は村がオーナーのようなもの。村立だ。そのため、土着性が高い。
 案内図にも願骨堂がないのは、既に消えているため。だからその跡地を見付けるためにやってきた。
 こういうのは案内図よりも地元の人に聞いた方が早いのだが、願骨堂と口にすると、反応がおかしい。そして誰も答えてくれない。知らないと言われるだけだが、それは申し訳なさそうにではなく、もの凄く否定の意味が込められている言い方。
 そんなものなど存在しないと。
 願骨堂は大正時代まであった。ただ、この時代の地図をやっと見付けたのだが、記されていない。昔から公にしたくなかったのだろうか。だが地図を作った人は村人ではない。軍事的な地図もある。しかし、そこにも載っていない。
 樋口が願骨堂を知ったのはかなり前のハイキング地図。この里山の奥へ行くと普通の山になり、ハイキングコースがある。都会から近いので、山歩きに来る人も結構いる。それでハイカー向けの地図があり、そこに出ていたのだ。かなり昔の本。
 そして最近のハイキング本では願骨堂は出てこない。ないのだから仕方がない。有名な寺跡なら別だが、ただのお堂。しかも村のローカルなお堂。そんなものをいちいち載せないだろう。
 願骨堂ができたのは江戸末期。消えたのは大正の頃とされている。燃えたのか、取り壊したのかは分からない。
 この里山のある観光地、都へは一山越えれば出られる。できたのが幕末。それと関係しているのかもしれない。
 樋口はそれなりに調べたのだが、そこまで。
 だが、この村の領主は幕末までは公家。朝廷に仕える貴族。その本拠地だが、あまり裕福ではなかったようだ。
 幕末の動乱期に入る手前にできたお堂。これは興味深いが、樋口は陽だまりのような喫茶店の中で座っていると眠くなってきたのか、探索はそこまでとする。
 こういうのは分かってしまうと面白くない。次回来るときは村人、特に旧家にアタックしようと考えている。
 そのとき、観光客の団体が入ってきた。着飾った婦人達だ。長居しすぎたことを感じ、樋口は席を立った。
 
   了





2018年12月22日

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