小説 川崎サイト

 

極月


 年の最後の月。十二月を極月とも言うらしい。
「今年は極めましたか」
「ただのどん詰まりで、何も成果は上がりませんでしたよ。極めたのではなく、極まった」
「何でもいいから年が終わるのですから、何かを極めないと」
「極意というやつですか」
「そうです」
「別に年の瀬に極めなくてもいいでしょ。そういう極意はいつ極められるかどうかは分からないはずです」
「いやいや極月に極める。これがふさわしい」
「月の移り変わりと合わせるわけですね」
「最後の月ですから。今年まだなら、この十二月で極めないと、来年に持ち越しです」
「で、あなた極めましたか」
「極意ですか」
「そうです」
「まだです」
「毎年でしょ」
「毎年駄目です」
「そう簡単に極意など身につくものじゃありませんよ。そんなものでしょ。一生掛かっても無理かもしれませんしね」
「しかし、今年は少しだけ極め掛けました」
「ほう、いいところまでいったのですね。私はさっぱりだ。極意に少しでも近付いただけでも大した成果じゃありませんか」
「そうではありません。極意は極め切らないと、中途半端じゃいけないのです。逆に危険です」
「あと一歩なんですね」
「二歩ぐらい」
「去年は?」
「あと三歩まで寄りました」
「じゃ、今年で一歩縮めた」
「若い頃は十歩も二十歩も進めたのですがね。上へ行くほど遅くなる」
「でもあと一歩だと、来年は極められますねえ」
「いや、来年は半歩ぐらいでしょ」
「上へ行くほどキツイからですね」
「そうです」
「私なんて、頂上が見えません」
「いや、その頃の方がいいですよ。先が見えていない方が」
「そんなものですか」
「まあ、数年のうちに極められますがね、私の場合。だから頂上もよく見えている。そしてどんな感じかも何となく想像できます。しかし、なかなかねえ」
「いいところまで来ているのに、どうしたのですか」
「いや、極めても大したことはないことが何となく分かるのですよ」
「どうなります。どんな感じなのです? 極意を得た状態は」
「おそらく今までの蓄積がスーと落ちるような」
「分かりました」
「意味、分かりますか」
「はい、分かります」
「極めるにはほど遠いあなたに分かり、私には分からない。何でしょうねえ」
「頂上でしょ」
「そうです」
「じゃ、あとは下り」
「ほう」
「だから上るまでがいいのでしょうねえ」
「私はあと一歩か二歩。もうすぐです。あとがない」
「だから下手に極めない方がいいのですよ」
「あなたこそ極めてもいないのに、極めておる」
「いやいや、ただの想像ですよ」
「極める寸前の私には分かります。それ、当たっています。何となく分かっていたのですよ」
「極めるとやることがなくなるでしょ」
「あり得ることです」
「暇で仕方がない」
「そうです」
「だから極めないことがいいのです」
「それが極意だったとは」
「いえいえ、ただの想像ですよ」
 
   了




2018年12月27日

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