小説 川崎サイト

 

呪詛


 妖怪博士は神秘的なものが好きで、これは不思議なものに興味があるという意味だが、実際にはあまり役に立たないことをやっている。それが高じて妖怪研究家となったのだが、神秘一般には興味がある。妖怪も不思議なこと、神秘的なことの一環だ。
 こういう怪しいことをやっていると、妙な依頼や相談を持ち込まれる。いずれも現実からかけ離れたことで、あり得ないような話。
「呪いですかな」
「呪術を使っていただきたい」
「私は術者じゃないので、それはできません」
「軽いので、結構です」
「誰かに呪いを掛けたいのですかな」
「そうです。怨みに思っています」
「どの程度」
「大きなダメージを与えたい」
「怨みたい人は結構いるものです」
「そうでしょ」
「復讐がしたいとか」
「そうです」
「しかし、殺すほどでもないでしょ」
「そこまでは」
「そんな深い恨みを抱くのは希なことです。余程のことがなければ、成立しません。ちょっと仕返しがしたいとか、その程度でしょ」
「しかし、呪術で昔の人は相手を呪い殺す勢いで」
「昔でしょ」
「はあ」
「それほどの復讐心は今の時代では無理だと思いますがね。そのため呪術など使わない」
「はあ」
「相手を怨むよりも、自己責任とやらで、自分を怨んだりしますよ」
「それはしません。相手を怨みます。軽く呪っていただけませんか」
「その程度なら、藁人形と五寸釘でも買ってきて丑の刻参りでもすればよろしい。安上がりです」
「藁人形など、何処で売ってますか」
「藁で作れます」
「藁は何処で売ってます」
「昔なら落ちていたのですがな。まあ、東急ハンズで売っているでしょ」
「園芸用とかでもいいのですね」
「人形でもいいのです。相手の顔の似顔絵でも。そして針でも五寸釘でもナイフでも、アイスピックでもハサミでも何でもよろしい」
「それはただの気晴らしでしょ」
「よくお分かりで」
「そうではなく、本格的に呪って欲しいのです」
「呪術を使うには霊力が必要です。私にはありませんから、道具があっても無理ですなあ。あなた、ありますか」
「そういうのは調べたことがありません」
「霊感が鋭いとか」
「いや、そんな機会も」
「幽霊が見えるとか」
「見えません」
「じゃ、駄目でしょ」
「霊感は必須条件でしょうか」
「そういわれています。まあ、念で殺すわけですからね」
「念」
「それより、怨みに思う人がいたとしても、別に呪術じゃなくても懲らしめることができるでしょ。そのため、そんな呪いで人をどうのというような人はいないと思いますよ。それに念で人は殺せません」
「それは昔からですか」
「いろいろな説がありますが、武器のように直接殺めることはできないのです。間接的に相手の持病とか、疾病を悪化させたり、食欲をなくさせたりと、一撃でダイレクトには倒せないとされています」
「倒せば殺人でしょ」
「呪い殺しても殺人にはなりません」
「え、何故ですか」
「呪いは科学的に実証されていませんからなあ、証明できない。死因が呪いだったという事例もないでしょ。昔はありますけどね。呪うと罪を受けました。今も刑を受けるかもしれませんが、軽犯罪程度でしょ。相手に迷惑を掛けたとか、その程度の。今は呪詛は禁じられていませんが、そんなもので人をどうこうできるとは現代人は思っていないはず」
「しかし、何らかのダメージを与えたいのです。そして誰が犯人か分からない呪詛がいいのではと」
「もの凄く世間から怨まれている人がいるとします。でもどうもないでしょ。多くの人から怨まれても、そんなことで死にはしません」
「僕はそんな一般論を聞きに来たのではありません」
「いや、この話は一般的な話じゃないですぞ」
「そうではなく、秘術があるはず」
「さあ」
「あなたは専門家だ。知っているはずです」
「いやいや、そんなものは知りません」
「嘘だ」
「しかし、相手を怨み殺したいという気がそもそもないのでは」
「はあ」
「殺したいですか」
「そこまでは」
「じゃ、駄目です。まずは自分の念が強くなければ。その相手にもいろいろと事情があるのでしょ。それに悪いのはその相手だけですか」
「はあ」
「逆恨みというのもあるでしょ」
「だから、そういった話ではなく、軽く相手にダメージを与えて欲しいのです」
「誰が」
「ですから、先生がです」
「困りましたなあ」
「秘技があるはず。それを隠しておられる」
「なくはありませんがな。これはインチキですよ。ペンテンですよ」
「何でもかまいません。少しだけ痛い目に遭わせたいのです」
「呪符を使いますか」
「それそれ、そういうアイテムがあることが分かっているのです」
 妖怪博士は知り合いの御札売りの老婆からいろいろな御札を仕入れているのだが、そのほとんどは護符。これは魔除け、防御用。攻撃用の呪符は見本で一枚持っているだけ。
 攻撃用呪符は朱色で書かれており、呪文というより絵文字に近い。
「これを相手の家でも部屋でも何処でもよろしい。できれば寝室近くに貼りなさい。しかし無理でしょ」
「部長室の分からないところでもいいですね」
「細かいことはお任せします」
「それでいけますねえ」
「相手の肌着が必要です」
「はあ」
「取って来れますか」
「それをどうするのです」
「それが蠱となります。燃やしたときに煙として飛び立ちます」
「手間が掛かりますねえ」
「最低限、それだけの準備は必要ですぞ」
「肌着は部長のパンツでもいいのですね」
「それが一番でしょ。シャツでもいいですが、燃やしたときの煙が問題なので、いい煙が出る生地がよろしいかと。効果は薄いですが、身に付けているものなら、何でもよろしい。マスクでも、マフラーでも、手袋でも、ハンカチでも」
「分かりました。用意します」
 しかし、この依頼者、その後やって来なかった。事情が変わったのか、または呪符を貼れないのか、パンツが手に入らないのか、それは分からない。
 それほど深い恨みではなかったのかもしれない。
 呪い殺す術はあるが、実際には呪いで人は殺せないとする術者がいる。その流派では呪ったものも死ぬため。当然呪い返しの方が強いため、そのリスクを冒してまで呪詛する術者はいなかったとか。術はあるが誰も使わないのだから、ないのと変わらない。
 大陸伝来の呪詛ではなく、この国では、呪う気などないのに、勝手に呪う生き霊の方が怖いとされている。儀式はいらない。本人も呪う気も祟る気もないのに、呪っているのだ。
 
   了

  

  



2018年12月31日

小説 川崎サイト