小説 川崎サイト

 

小欲の人


「小欲ですか、大欲ではなく」
「そうです。最近は小欲になりました」
「でも欲は欲ですねえ。欲がある」
「欲がなくなればやることがなくなるでしょ」
「つまり欲の質を変えたと?」
「大欲を抱くのがしんどくなりましてねえ。もっと短時間で叶えられる簡単なものを注目しています」
「それじゃ盛り上がりませんねえ」
「盛り上がるのも疲れますからねえ」
「では大志ではなく、小志」
「そんな志のような大層なものではなく、ちょっとしたことでいいのですよ」
「たとえば」
「靴下です」
「深そうな意味がありますねえ」
「生地のいい靴下をもらいましてね」
「靴下のプレゼントを受けたのですか? 何故靴下なのです。中にクリスマス用のお菓子とかが入っていたのですか。そんなもの喜ぶのは幼児帰りですよ」
「そうじゃなく、普通に履く靴下です。もう忘れましたが、何かの動物の毛です。アンゴラだったように覚えていますが、高いものでしょうなあ。それを頂きました」
「誰から」
「大先輩です。その先輩が靴下専門店で買ってきたものですが、買いすぎたようで、プレゼントだといって頂きました。色はいいのですが、柄が気に入らなかったようです」
「靴下コレクターですか」
「いや、靴下専門店が珍しかっただけでしょ。それで多い目に買ってしまったとか」
「その靴下がどうかしたのですね」
「これが実にいいんだ。それでずっと同じものを履いている。結構分厚くてね。冬の今時分でも履ける。いつもはポリエステルのふわふわのを履いているのですが、あれは毛玉がひどい。それにずっと履いていると、硬くなるし、それ以前に伸びるのです。ゴムが緩んでいるのでしょうなあ、ズレます。そしてピタリ感がない」
「そういうことがポイントになっているのですか」
「こういう一寸した気持ち良さのようなものが、小欲です」
「個人的な欲ですねえ」
「欲のほとんどは個人的なものでしょ。まあ、団体欲もありますがね。大欲に繋がるような」
「しかし、靴下ですか。靴下」
「それがいいので、似たような靴下を買いましたよ。生地がいいタイプで高そうなやつをね。二足や三足を束ねていくら、というような品じゃなく」
「そうですねえ。ネクタイも百円のもありますが、やはり生地や一寸した加工が違うのでしょうねえ」
「衣服は適当でいいのですが、靴下だけはいいのを履くのがよろしいかと。靴よりもね」
「それはすぐに叶えられる欲ですねえ。いや、欲というレベルではないと思いますよ」
「価値を見出せるかどうかでしょう」
「靴下など、適当でいいんじゃないですか」
「私もその流派だったのですが、先輩から頂いた靴下を履いたとき、転びました。これは自分で選んだものではない。当然自分なら選ばないタイプの高い靴下です。やはり、この体験がなければ、靴下へとは至らない」
「小欲とは、控え目な欲ということでしょ。そんな高い靴下なんて贅沢品でしょ。控え目の靴下じゃありませんよ」
「では小欲ではなく、大欲かね」
「ああ、それは違います。靴下に対し、欲を出すというのは靴下関係者以外では聞かないでしょ」
「じゃ、何かね」
「一寸いい感じ、ということですか」
「それそれ、それが最近、私のポイントになっています」
「まあ、平和でいいのでは」
「こういうことは以前なら思い至らなかった。これは新境地だ」
「でも、もっと拡がりのあることが欲しいとは思いませんか」
「その靴下、ずっと履いておるが拡がらん」
「はい、もういいです」
 
   了



2019年1月6日

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