小説 川崎サイト

 

リアルなファンタジー


 誰が敵か味方か、分からないことがある。敵や味方は最初からいるわけではないが、そのうちできてくる。またディフォルトの味方もいる。最初から味方であろうと思えるような集団。当然その中にも敵がいる。味方なのだが、敵。
 逆に敵の中にも味方がいる。すると味方の中の味方と、敵の中の味方が味方の総数となる、そういう見方もあるが、敵か味方かよく分からない存在もある。人や場所、団体なども含めて。
 ある事象で敵が味方になり、味方が敵に回ることもある。だから誰が敵か味方かが分からなくなったりする。動きがないときは分かりやすいが、変化すると分かりにくくなる。
 ある事柄では味方になってくれるが、ある事柄では敵になってしまう。
 敵の敵は味方ともいわれている。共通の敵を持つ場合、組んだ方が有利。それで敵を倒すと、今度は組んだときの味方が敵として浮かび上がったりする。
 また敵に打ち勝ち、それを味方に加えるたり、敵に負けて、その敵の味方をするようになることもある。
 また全ての敵を打ち払い、全部が味方になったとき、味方の中に敵を作ったりする。
 天敵が救いの神になったり、守護神が疫病神になったりもする。
 ということは敵も味方も同じようなものだろう。
 宿敵もいる。これは長いだろう。宿命の敵なのだから。これは早く倒してしまうと、やることがなくなったりする。だからといって新しい敵を作るわけではないが、そんなことをしなくても敵は現れる。
 背中を撃たれる。これは味方側が急に敵に回って襲いかかってくる。背後からなので、油断している。背後にいる身内なのだから、その方向には敵がいないはず。これは裏切りだろう。まさに正面からではなく裏から斬られる。
 本当は味方同士なのに、同士討ちのようなことになることもある。内紛だ。
「父ちゃんは敵だ」
 と叫んで家を飛び出した息子もいる。本当の敵よりも、厳しい親の場合、そんな気にもなるのだろう。
 敵の発生と味方の発生はどちらが先か。敵がいるから味方を集める。また、敵ではないというだけでは味方ではないが、味方に付けることもできる。
 味方が多いので敵が発生することもある。どちらが先だろうか。
 これはその人の物語に関係する。夢や希望とか将来。それを叶えるのを邪魔立てするものを敵と見なしたりする。
 それが淡い夢でも、リアルで可能な夢でも、同じようなもの。その人のストーリー上では敵になるのだろう。
 しかし、物語には起伏や意外性が必要。敵が味方に、味方が敵に、などは物語の常套手段。
 リアルなファンタジーを人は書き続けながら歩むのだろうか。
 
   了




2019年1月14日

小説 川崎サイト